バンコックで、4日間の友



旅の中で出会い、数日を共に過して別れ、再び会うこともなかった人、
我が旅の道程を風のように通り過ぎていった人、
行きずりの人は通りすぎれば消えてしまう、だがその人の記憶は不思議に心に残っている出会いがある。
何日間か、その人と過した日が友情の通い合う日であったからなのだ。


ネパールへ行こうと、ひとり五月の連休前にザックを背負って出かけたのは、齢50になったときだった。
青年時代、いずれはヒマラヤへという淡い夢を抱いていた。しかし我が人生は、山登りに本腰を入れるようなものにはならなかった。教育運動と実践、社会運動と実践、それらは山を疎遠にした。たまに日本アルプスや近郊の山を、仲間や教え子と歩くぐらいが関の山であった。
ところが50になって、人生半世紀の記念にネパールへ行こうと思った。
きっかけは、「アジア協会アジア友の会」がネパールで植林運動をしているという呼びかけだった。森林破壊によって砂漠化が深刻になり、洪水も起こっている。木を植えよう、日本の一団体がワークキャンプを行なっていた。
ネパールの森が消滅している、現地報告は衝撃的だった。僕の背中を押したそのきっかけは、同時にヒマラヤトレッキングという目的にも火をつけた。
若くより憧れていた、しかし、遠い夢だったヒマラヤ、参加してみよう。
ところがワークキャンプは、ネパールとインドの関係が悪化して、車の燃料が得られず活動が困難になった。
そのことが関係して、現地へ行くのは個人の意志と責任でということになった。


四月の末に、ひとり日本を発った。格安航空券を使ったバンコック経由カトマンズというルートだった。
タイのバンコックに着くと、次のカトマンズ便は4日後で、それまでタイに滞在することになった。
バンコックは異常に蒸し暑かった。
空港から歩いても行ける距離に日本人経営の安い民宿があると、ガイドブックにあったから、そこを訪ねていった。 
バイクがけたたましく走り回る街路を、地図を頼りに民宿を探した。
なんともそっけない応対があり、調度品も装飾も何もない、ベッドが三つあるだけの部屋に通された。
素泊まりだった。部屋にはエアコンはなく、窓から入ってくる湿りを含んだ熱風に、眠ることもできない。
と、そこへ一人の男性がやってきた。日本人で、訊けば北海道の札幌から来て、これからインドを旅するという。年は30代に見えた。
夜中の12時ごろまで、街路のバイクの音がけたたましく、二人はベッドの蚊帳の中で暑さにあえいで寝返りを打っていた。


知り合った男は翌日、アユタヤに行きませんかと、声をかけてきた。
アユタヤはメナム川にのぞむタイの古都、歴史遺産の豊富なところだ。
僕ら二人は、列車に乗ってアユタヤに向かった。
札幌の男と座席に向かい合い、話しながら車窓を眺める、水田が広がっていた。鉄道の旅は楽しい。
アユタヤに着くと早速史跡めぐりだ。広大な範囲に広がる史跡は、とても歩いて回れない。
オート三輪に乗りましょう。」
男は、止まっていた一台の運転手に声をかけて交渉しはじめた。一日借り切る、値段はいくら?
返ってきた金額を男は値切る、なかなか達者な男だ。
妥協した金額でバタバタの旅が始まった。田園地帯の向こうに見える仏塔をめざして走り、古びた仏塔がぽつんと立っているところに立ち寄って石の塔に上ったり、川のほとりの山田長政のいた日本人町の跡を見て、1600年ごろにこの国に来た日本人を偲んだりした。


その夜は、アユタヤの宿に泊まった。
男と二人で見つけたそこも格安ホテルだった。
「食事、どこでとろうか。」
二人でホテルを出て、川舟のレストランで食べることにした。川舟のタイ料理は強烈な香りだった。
宿はなんとかクーラーが働いてくれて、二人ともやっと安眠ができた。


バンコックに帰ってきて、その夕方、二人は民宿近くの大衆レストランで夕食をとった。
「明日は、お別れですねえ。」
男は、これからインドを旅する、僕はネパールだ。
ビールを飲みながら、タイ料理の豆を煮たのをつまむ。
「僕は、病院でレントゲン技師をしているんです。」
男が話し出した。
どうしてインドの旅に出たのか、一人の女性、その人と結婚すべきか悩んでいる、結婚に踏みきれない迷いがあり、しかし彼女との関係を断ち切ることはできない、
男はとつとつと心の中を語っていく。
僕はそれを聴きながら男の心を受けていた。
ウエイトレスの女の子が、僕らが少しも追加料理を注文しないので、不機嫌そうな顔で見ている。
追加注文するにも、タイ語で書かれたメニューはさっぱり分からず、豆料理だけでビールを飲んでいた。
男に何と答えたか、どんなアドバイスをしたか、今はもうよく覚えていない。
若いその男は、僕の親しい友になったように懐かしかった。


翌日、空港で別れることになった。
インド行きとネパール行きの便は、1時間ほど差があった。
待ち時間の間も二人は話し合った。
彼がインド行きを切り替えて、ネパールへ行くと言わないかなと思ったりもした。
インドをひとり旅して、自分の持ってきた心の問題の解決ができるようになればいいが。
別れがたい思いが湧いた。
僕の便の出発が早かった。名残惜しそうな彼の顔を見ながら、
「じゃあ、お元気で。インド、よい旅を。」
挨拶を交わした。
もう二度と会うこともない。4日間の友情が終わった。
彼は今、どうしているだろう。