人を弱らせる感情




朝、眼がさめたが、外はまだ暗く雨も降っていた。明るくなるまで布団の中にいながら考えていた。
夫婦の間に流れる感情の、ときどきのさめた感じ、何かのきっかけで起こる感情の停滞、低気圧。
それを考えていた。
それは喜びではない。楽しみではない。
寒く、虚ろだ。


カーテンのすき間から少し外の明かりがうっすらと入り始めた。
頭の中をいろんな想念が浮かんでは消えていく。
この前観たトルストイ晩年の、NHK映像を思い出す。
夫を愛している妻、妻を愛しているトルストイ、しかし二人の間には思想の違いがあり、生き方の違いがあり、
いさかいは波立ち、苦悩の感情が絶えない。
トルストイは82歳で家出をし、鉄道で旅をしている途中体調が悪くなり、田舎の小さな駅舎で死んだ。
駆けつけた妻は悲嘆にくれた。
貴族として生まれ、広大な領地と屋敷を持ち、召し使いたちにかしずかれる生活をしてきたトルストイは、ロシアの貧しい人びとに持てる財産をすべて与えようと考える。
それに対して妻は家族の権利を守るために必死に闘う。
両者のぶつかりあいに耐えられなくなって、トルストイは家を出た。


人間と人間の間に生起する多様な考えと感情。
友との関係、恋人との関係、きょうだいの関係、師弟の関係、仲間との関係、
いろいろな人と付き合い、関係を結び、いろんな気持ちを抱いて人は生きている。
そのつながりの状態はそれぞれ多様で、そこにはそのときの感情が流れている。
その感情が、ときに結びつきを深め、ときに断絶もさせる。
結びつきは、いったん切れても修復して復活することもあれば、永遠に切れてつながらないこともある。
否定的感情が心を占め、それに流されていくと、両者の関係は崩壊する。
否定的感情は苦しい。
崩壊しても、また新たなより良き出会いがあり、新たな関係が生まれることも常だから、人は生きる。
苦悩があり、悲哀があり、喜びがあり、楽しみがある。


「ひきこもり」の人が、今の日本で、若者から熟年にかけて増加しているというのは、
新たな関係を生み出すことのできない人が増えているということだろう。
関係性のこじれや、断絶の苦悩から、逃れたい、
脱出して新たに出会いを見つけたい。
だが出会いへの道を歩む力が湧いてこない人たちは、とじこもるしかない。
この感情にほんろうされ苦しむのは、たぶん人間だけだと思う。


夜が白々と明けてきた。
心に残っている楽しい記憶を思い出す。
一緒に作業したときの喜び、
いっしょに苦労し、ねぎらいあったときの充実感、
それがよみがえる。
生きることは楽しい、そう思える時は力を合わせているとき、
その記憶は忘れない。
生活が苦しくても、同じ方向に向かって荷を負って歩いている。
昔の家族の共同作業、苦しくてもわかちあった、
その記憶が力となってよみがえる。
個別化しすぎ、分業化しすぎた現代の生活は、
この「共に」の感情の共有場面を薄くした。
寄り添う場面を乏しくさせた。
いたわりあいを希薄にした。


雨はもう小降りになっているらしい。
窓のカーテンを開けた。
「雪がすっかり消えたよ。」
と声をかけた。
「雪が解けてよかったね。」
と声が返ってきた。