腰を落とす



  公民館で正月のしめなわ、松飾り作り


先日、白鵬菅首相を訪問して、励ました。
「相撲では、腰を落として土俵際でこらえるんですよ。」
首相も腰を落としてやんなさいよ、と。
「腰を落とす」という方法、その言葉に託したものがある。
重圧に押しひしがれそうになっても、腰を落とせば重圧に耐え、こらえることもできる。
こらえれば、次の手を見つけることもできる。
腰を落とすと、不思議に体は磐石の重さになる。
「腰を落とす」、相撲の技であるが意味深長な言葉だ。
白鵬は、表敬訪問の後、嬉しそうな顔で、首相をそう励ましたことを語っていた。
菅さんは嬉しかっただろうな、白鵬の表情、言葉、心から発せられるものがあったから。
そう、心。
国政を任され、多難のなかで稔りをもたらすことができない、メディアからの中傷・非難、野党からの攻撃、内輪からの批判、
やりたくてもできない。
菅さんはこの頃とじこもって昼食を一人で食べていると、「孤食」報道があった。
首相の孤独。
育てないで、壊そうとする環境のなかで、白鵬の言葉には愛がある。


人間はいろんな荷物を背負って生きている。
苦しく辛いことが多い。
重荷に耐えられなくなると、人は壊れていく。


登山で「担荷力(たんかりょく)」という言葉があった。荷を担ぐ力だ。
今はもうなくなったが、富士山や日本アルプスに荷物を担いで登る強力(ごうりき)がいた。
新田次郎の小説『強力伝』の主人公のモデルになった強力は、約188キロもある花崗岩を運んだということだ。
ぼくの若い頃、最高でも60キロだった。
朝から夕方まで休みながら登りつづける。
荷を降ろしたら次は担げなくなるから立ったまま、杖を荷の下に持ってきてそこに荷重を託す。
このような負荷は大きなストレスになる。
しかし負荷が大きくても、受けるストレスは人によって異なる。
吹き荒れる強風が、大きなストレスに感じる人もいれば、へっちゃらな人もいる。気温、天候のような自然環境から来るストレス。
社会関係から来るストレス、人間関係から来るストレス、生活環境から来るストレス、
健康問題から来るストレス、
無数のストレスを抱え、負荷を感じ、おしひしがれる人間の弱さ。


ぼくは毎朝ランと散歩する。
冬の日の雨の中の散歩、雪の中の散歩、条件の悪いときがある。
ぼくは合羽を着たり傘を差したりするが、ランはそのままの姿で、氷雨に濡れ、体に雪が積もる。
「ラン、お前の先祖はオオカミだったんだよ。オオカミは嵐でも吹雪でも、耐えて獲物を探しに行ったんだぞ。」
と話しかける。


苦しいときがある。
最悪だと思うような状況におかれるときがある。
ストレスが心をむしばんでいる。
あるとき、歩いていて、見方を変えることで、ふっと楽になったことがあった。
自分の心に負担をかけているそのことを、自分は最悪だと思っているが、実は好ましいことではないか、
逆転の発想。


今、自分に重圧をかけているそのことの見方、とらえ方、感じ方、
それは多分に一面的であるのだ。