安曇野の道の名前



「日本サラダ街道」という名前の道がある。安曇野からリンゴ園の中を通って山形村朝日村に至る道だ。
目的地へ最短距離で行く道ではないから、左折したり右折したり、分岐点に「日本サラダ街道」と書かれた小さな標識があるのだが、どこが出発点でどこまでがサラダ街道なのか、いっこうに分からないでいた。
さらに、なぜサラダ街道なのか、山形村朝日村の方は野菜畑かもしれないが、三郷はリンゴ街道であり、合点がいかなかった。
先日、三郷地区の物産センターである「三郷サラダ市」の前に、広域農道からリンゴ園へ入る道にその標識を発見し、そこが一方の端であることが分かった。


この地域の道は、全く規則性がなく、昔からのうねうね蛇行して方向が分からなくなるような道が多い。
幹線道路から脇道に入った初めての人は、必ず迷うだろう。
一日市場というJRの駅がある。
すぐ近くには来ているのだが、この駅に到達することができず、街の中を車でぐるぐる回って探したことがあった。
三郷村の中心街なのに標識も完全ではない。


ぼくが中国の青島(チンタォ)市にいたとき、その巨大な街の道路のほとんどに名前がついていて、目的地へ行くのに、道路名を調べていけば行き着くことが出来るのに感心したことがある。
道路名は、街区が変わると名称も変わる。
青島は一つの市であるが、市街地面積は日本の地方都市の何倍も大きい。一点に行き着くのは容易ではないが、ほとんどの地区の道路につけられた名前が、地図上にも、実際の道路標識にも書かれているから地理が判別しやすい。
道路名は、山東路、杭州路、洛陽路、重慶南路、というように中国各地の地名を使っているところと、太平路、人民路、明月峡路のような名前の付け方をしているところとがある。中国の他の地名を使うのなら、名前はいくらでも付けられる。
「私の家は、洛陽路の東側、公園の隣ですよ。」
と聞けば、あああそこかと合点がいくから便利だ。


パリも、ヴィクトリア通り、ジェヴル通り、ポンピドー通りなど、通りの名前がつけられている。
京都も、河原町通り、三条通りなど、大通りには名前がある。
日本の地方都市で、ほとんどの道に名前を付けることが出来たら、地理を把握するのにずいぶん便利になるはずだ。
安曇野の地図を見ると、「安曇野スケッチロード」「北アルプスパノラマロード」とかの名前があるがそれだけで、
役所が付けたのだろう「小倉梓橋停車場線」「豊科大天井岳線」「塚原穂高停車場線」などがあるが、市民の生活にはとんとなじんでいない。
この場合は、どからどこまでかを名前にしたものだが、JR大糸線の駅を「停車場」とはずいぶん古い語感で懐かしい。
「豊科大天井岳線」は、豊科から烏川渓谷に上っていく道路だ。なぜ「大天井岳」にしたのか、道路の先にそびえるのは常念岳から蝶ガ岳への山並み、そして横通岳であって、大天井岳はほとんど見えない。


市民になじむ名前をつけられないものか。
道路に名前があれば愛着が確実に増すと思う。
名無しの権兵衛では人格ならぬ「道格」がない。
名前がつくと、住民の意識も上昇し、道をもっとよい道にしようとする動きも起こるだろう。
どうです、「豊科大天井岳線」はヤマボウシの並木が美しいから「ヤマボウシ通り」、白鳥の飛来して餌場となっている田んぼの見える道は「白鳥通り」なんて。
「広域農道」、「山麓線」、147号線とか19号線などの、位置や由来をもとにした道路行政の名称とは別に、道路を短く区切って、それぞれの地域の市民になじむ名前がつけられると愛郷心にも影響すると思いますが。
と、ぼくは、提案しているのだが、まだ声が小さいから、誰も気に留めていない。


「この道をまっすぐ行くと、交差点がありますから、そこを曲って、道なりにいって、三百メートルほど行ったら、右にコンビにがあります。そこでまた聞いてください。」
今は、道を訊くのも、教えるのも、一工夫がいる。