ユートピア主義と現場主義


 昨日、養老孟司と建築家の隈研吾の対談について書いたが、世界の現場を歩いてきた隈研吾は興味深いことを述べている(「日本人はどう住まうべきか?」日経BP社)。
 1755年、ポルトガルリスボンマグニチュード9の大地震が起こった。死者5〜6万人、「神は人間を見捨てたのではないか」、ヨーロッパの人々は恐怖に襲われる。世界の人口がまだ7億人台であったときのこの大災害、そこから近代という時代が始まった。自由・平等・博愛の革命思想も、この地震以降に一斉に動き出す。あたらしい建築デザイン、都市デザイン、ユートピア主義が生まれる。しかし、ユートピア主義も現場の現実を無視しては夢は成就しない。現実に対する不満から夢・妄想を描き、されど現実の環境はなまやさしいものではない。そこで夢実現を目指すものは、現場に打たれ、鍛えられながらも、意欲を喪失せずに実践しつづける。
 パリの都市計画も、大災害が引き金となっている。1665年のロンドン大火とリスボン地震である。パリ大改造ができたのは、ユートピア主義と現場主義がタッグを組んだからである。
 そして二つの世界大戦がやってくる。悲惨極まりない戦争の世紀だった。そこからアメリカを中心にユートピア主義が栄える。やがてそれは大衆化した個人ユートピアとなり、しかし20世紀末から金融資本主義が世界を席巻して、破壊へと向かう。ユートピア主義は色あせ、個人ユートピアの大衆化は破綻する。
 そういう歴史を披露して、現場主義の隈さんは結論づける。ユートピア主義は色あせた。だが、現場主義の大前提には夢が存在しなければならない。大きな夢が存在するからこそ、現場という複雑でやっかいなものに立ち向かい、それと折り合いをつけていく勇気と活力が与えられるのだ。災害の後に、新しい人生を始めたい、新しい時代を切り開きたい、という夢があるからこそ、強く生きる気力が身体の底から立ち上がるのだ。人類史は災害史である。大災害が起きたときに人間は考え、動き出すのだ、と。

 ところで、今の日本はどうだ。3.11後、新しい日本の未来を画く夢はどうなっている? 
 サバティカルという長期有給休暇の制度、日本では全く逆である。学校の教職員は、以前は夏休み期間中は自宅研修の届けを出して、旅もできた。ぼくは、このときとばかりに、生徒を連れて山登りにキャンプ、それに続いてテントを担いで友人と登り、そして家族と旅行を行なっていた。解放感のなかで学び、自然から活力をもらい、意欲と健康を回復する休暇だった。ところが今は、生徒が学校に来ない日も、出勤しなくてはならないようになっている。学校という閉鎖空間にしばられているのだ。欧米ではバカンスをとって、ロングの旅をしたり、山や森のなかで長期の滞在をしたりしているが、日本の会社勤務の人たちも、休暇はお盆の前後数日だけである。東京に住むぼくの息子は、平日は帰宅が夜の11時、12時になるという。
 20年ほど前、ぼくは夏休みに夫婦で北欧を旅して、ノルウェーオスロから脊梁山脈を越えたとき、山岳地帯のあちこちに小さな小さな山荘を見た。オスロの町中には人影はまばらで、多くの人は夏は自然のなかにどっぷり入って、長期にステイし、心身を健康にするのだと言った。ガスも電気も水道もない、文明の利便性から離れ、太陽と星と木々に囲まれた自然生活こそが、人間の回復になると。
 歴史のなかで、大災害は大きな革命的な変化をもたらしてきたが、3.11後の日本は何を見出しどんな生き方を生み出すのだろうか。