灯りが点った



工房建設の最後の難関は、水道工事と電気工事、
両方とも自分には資格も専門技術もない。


築80年の金剛山麓の古家に住んでいた5年前、居間も寝室も一日中、陽が射さず、雨や曇りの日は電灯をつけなければならないほど暗かった。
照明を増やして、部屋をもっと明るくしたい。
それを解決してくださったのが電気工事士の資格を持っていた井上さんだった。
我が家の背戸に一反の畑があり、そこを借りてぼくは耕作していたが、井上さんもその一部を家庭菜園として耕されることになって親しい間柄になった。
井上さんは、毎週土日に街から車でご夫婦そろって畑仕事に来られた。
ときどきおばあちゃんも付いてこられた。
金剛山葛城山を眺めながらの畑仕事は、のんびりと楽しく、彼岸花の咲くころ花に包まれての畑作業は桃源郷のようだった。
サラリーマンだった井上さんは、どういうわけか電気工事の資格と技術を持っておられ、我が家の暗い部屋のことを話すと、見事な配線をして照明を増やし、ぼくら夫婦を助けてくださった。


そしてこの安曇野の工房、最後の難問の一つ電気工事に来てくれたのはミノル君。
自分の仕事を休んで大阪から安曇野まで車で来てくれた。
三泊四日我が家に泊まり、工房に電気を引き内線工事をして七つの照明器具を取り付ける。
一緒に穂高の温泉に行った以外はどこへも行かず、仕事に専念してくれたおかげで、
11月2日の夕方、秋の日がどっぷり暮れて工房の中も暗くなったときに、工事はみごとに完了した。
「明かりがついた、おうおう、やったあ。」
内壁も天井も床も、無垢の杉とヒノキを使って建てた工房の中は、日の入りとともにしんしんと冷えてくる外気をさえぎって、ほかほかと昼の太陽熱を保ってくれている。
そこに奈良に住んでいたときに使っていた照明器具に光が点った。
ミノル君は昔ぼくの教えていた学校の生徒だったが、その後の人生を通じて、同志となり友となり、そして今は家族のような関係になっている。
彼は今は大阪で電気関係の仕事をしている誠実で朴訥な男だ。
彼もまた学生時代山岳部に所属してアルプスに登っていた。
仕事の関係で取得した電気工事の資格と技術が役に立ち、この工事はいい経験になったと、ミノル君も室内を明るく照らす光に満足そうだった。
帰りの出発の日は文化の日、お土産はヒデさんの安曇野米と堀金のリンゴとぼくの作ったサツマイモ。
朝からアルプスは姿を見せ、純白の雪化粧が大阪に帰るミノル君を見送ってくれた。


次は水道工事と下水道工事だ。
奈良の金剛山麓の古家に住んでいたときは井戸があり、その井戸の水を電気モーターで汲み上げ、
風呂場まで水道管を引いて風呂を沸かし、別棟の手洗いにも井戸水を引いた。
その工事は素人の自分でも出来た。
中学時代に、二歳上の兄と二人で、それまで手押しポンプだった井戸に電気モーターを取り付けて水を汲み上げ、配管して炊事場とトイレの手洗いに井戸水を使えるようにした経験がある。
コンクリートを練って、道の舗装をしたこともあった。
できることは自分たちでやる。できそうにないことも、やったことのないこともやってみる。
身体の奥に眠っているそうした経験は、その後の人生でも、多くのことが自力でやればできないことはないという意識となって現れてくる。
長い年月を経て、金剛山麓の古家でもそれを発揮できた。
井戸の水は冬は温かく夏は冷たく、暮らしにはもってこいで、水道代もずいぶん助かった。
そしてここに工房を自力で建てて、水道工事も自分でやれないことはないと考えていた。
トイレは自作のバイオトイレにし、配管はツルハシで土を掘り、地下50センチに敷くことをやってみようと思ったりもした。
しかし、水道の本管に塩ビ管をつないだり、水洗トイレを設置したりという工事に二の足を踏み、これは地元の業者さんに頼むことにした。
どの業者に頼むか、こちらの支払い能力に限界がある以上、あまり費用がかからないようにしたい。
これも人のつながりの中から、良心的な価格で工事をしてくれる人が見つかり、その工事を今待っている。


今日は朝から霧がたちこめ、おまけに初霜が降りた。
気温も零℃近くになっている。