遠望は美しいが‥‥




「夜目(よめ)遠目(とおめ)笠の内」という慣用句がある。
夜見たときや遠くから見たとき、笠を被っているのをのぞき見したときに、女の人は実際よりも美しく見えるという意味である。
江戸時代などは夜、ロウソクや行燈(あんどん)の光で見たのだから、女性は男の目にはいっそう美しく見えただろう。
安曇野は遠望した時が美しい。
穂高地区西部の山麓から北東と東を見下ろす風景、堀金地区から少し高度の高い三郷山麓を見るときの風景、三郷山麓から堀金・穂高地区を見晴るかす風景は、うっとりするほど美しい。
この安曇野の遠望が美しいのは、屋敷林、鎮守の森などの、建物よりも高く伸びた樹木の茂りが風景の額縁の中で高い比率を占めるからである。
遠望だからアラが見えず、伝統の美を未だ目にすることができるのだ。
眼をもっと遠くへ移せば、北アルプスなどの山々によって構成される自然美が飛び込んでくる。
雪山になるといっそう風景は神秘的になる。
ところが視線を中景、近景と近づけていけば、見えるもの、感じるものが変わってくる。アラや破壊が目に飛び込んでくる。
てんでばらばらの建物群、赤や黄色の商業施設、看板・のぼり、優美さのかけらもない道路に水路。
果樹栽培の盛んな三郷の山麓地帯に産業廃棄物処理施設が造られ、山麓地帯から少し下ったところに、行政の支援を受けるトマト栽培の巨大な連棟ハウスが、建造物を取り巻く樹木のカバーもなく、むき出しのまま施設をさらけだす。
屋敷林もじわじわと木立の数を減らしているようだ。
ヨーロッパでこういうことが起こったら、どういうことになるだろうか。
住民も行政も許すまい。
「浦島太郎」が帰ってきたら、腰を抜かすだろう時代の変化、長年住んで見慣れて鈍感になると壊れていく風景も当たり前の風景になる。


現代思想の批評家、東浩紀が、論壇をもとにこんな時評を書いていた。
新聞や放送ではしばしば世論調査が行なわれ発表される。
この世論調査とはいったい何ぞや。
熟議を経て到達する「輿論(よろん)」と、集団的な感情の発露にすぎない「世論」は別物である。
現在は「世論」が優位になっているようだ。
世論調査に左右される政治はファーストフードになぞらえて、「ファースト政治」である。
早く簡単に食べられる便利なファーストフードのような政治。
そういう政治を求める人々は、店員とコミュニケーションをしながら物を選ぶ個人商店よりもスーパーでの買物を快適と感じる。
ファースト化は社会全体に及んでいる。人びとは政治を「日常生活で発生する問題を簡単に解決してくれるマシン」としてしか想像できなくなっている。
だから、めんどうな議論には関心がなく、わかりやすい公約実現だけを求める。


環境は時代の影響をもろに受ける。
「早くて、便利で、簡単で、利益優先」
これだけが選択基準になっていると、環境は守れない。
環境を守り、育てるというのは、ファースト化とは逆。
100年かけて森が生まれる。
100年後を想像して今をなす。