放課後の活動


   サトイモの葉っぱに眠るアマガエル


職員室に、30代後半頃と見受ける作業服に丸坊主の男性が現れ、ぼくの横に背筋を正して立つと一礼された。
どなただろう、机に向かっていたぼくは怪訝な思いで立ち上がった。
「リーの父親です。息子がお世話になっています。相談に上がりました。」
この方がリーのお父さんなのか、折り目正しい方だ。
「実はしばらくの間、入らなくてはならなくなり、自分のいない間、息子はハルモニと二人だけになります。息子をどうかよろしくお願いします。」
詳しいことは話されなかった。しかし、おおよそのことは推察できた。
リーの家に母親はいなかった。祖母と父親との三人暮らしだった。
1年生のわがクラスには、ずばぬけたヤンチャがひしめいていた。
リーのやんちゃ友だちは、リーの父親が組員であり、かなり戦闘的な人物であると教えてくれたことがあった。
「入らなくてはならなくなり」ということは、たぶん刑務所に入るということだろう。
「分かりました。ときどき家に行きますから安心してください。」
「半年か1年ぐらいになると思いますので、よろしく頼みます。」
父親は深々と坊主頭を下げて、ジープに乗って帰っていった。
校区の北地区は、生野区に隣接していた。在日の人びとが多く住み、町工場がひしめいていた。
家庭訪問をすると、家内工場で油にまみれて働く実直なアボジ・オモニがいつも笑顔で迎えてくれた。
放課後の部活動が終わると、自転車で家庭訪問に出かける。今日は誰のところへ行こうか、それは学校で決められた勤務ではなく、自分の気ままな自発的なものだった。
そうして親たちと仲良くなり、ヤンチャ連中との信頼関係も生まれた。
リーたちの学年の前年は、とびきりの3年生を教えていた。その学年には後にも先にもこんなツッパリ見たことないと思える10人組がいて、周辺の学校のツッパリや番長と抗争して勝利を収めていた。
夜、彼ら10人組の集まりに、ぶらりと出かけていって雑談もする、彼らはごく自然体でぼくを迎え入れてくれた。
放課後の時間は、そういう時間でもあった。


リーの父親が留守になり、ぼくはリーの家に出かける。
ハルモニ(おばあさん)は、少し腰の曲りかけた小さな人だった。恐縮して頭を下げられるから、体は更に小さく見えた。
「リーはいますか。」
家にいるはずもない。どこかへ飛んでいって遊びほうけている。それでも、
「先生に頼んであるから、ちゃんとせいよ。」
と言い残して出て行った親父の威力が効いている。ハルモニのつくる夕食時間には帰ってくるのだ。
「センセイ、これ食べてください。」
ある日、ハルモニはキムチを包んでくれた。おばあちゃんの漬けたキムチだった。
ぼくはありがたくおしいただいて帰った。
リーのアボジ(父)は、その学年の終わる前に家に帰ってきた。
再び学校に現れた父親は、最敬礼して感謝の気持ちを表して行った。


リーは今どうしているだろう。今もあの地区に住んでいるだろうか。
親父の後を継ぐことなく、堅気の仕事をしているだろうか。彼は高校へは行かなかった。仕事の困難さを想像する。
いま彼の年は30代半ば、あの時の彼のアボジの年に近づいている。


学校教員の、直接児童生徒にかかわる仕事は、教科指導の授業と授業以外の二分野がある。
授業以外の分野では、「ホームルーム活動」と呼ばれる生徒の自治を生み出す学級活動と自分のやりたいことを行なう部活動、そして教師の自主的な生徒指導にかかわる活動がある。
授業と授業以外の活動とは密接に関係しており、学級集団を熟成させていく活動があって、教科指導も深化する。
そしてまた教科指導が活発になれば、学級の生徒集団が深くつながっていく。
相互の関係性、これが重要なのだ。
これが機能していくと、生徒たちは生き生きと元気になり、学校生活が楽しく充実する。
教科の授業以外の時間を、そういう活動に使うことができず、しかし過重労働からは脱却できない、それでは疲労困憊が再生産されるだけである。