人を排斥する社会で人は育たない



  

高校授業料無償化の対象から朝鮮学校をはずすかどうかの論議が動いている。
こういう事態になるときまって排外主義が動き出すが、今回もやはりそうだ。
朝鮮学校へのバッシングがインターネットでうごめく。
鳩山首相が、朝鮮学校の生徒と面会する意欲を示しているという報道があった。
正しい政策を実施するために、排外主義的情報に惑わされず、事実実態をよく見て欲しい。
現場・実態を知らずしてふさわしい政策は生まれない。


斉藤環精神科医)が、バンクーバー・オリンピックに出場した国母選手に向けて、意見を新聞に書いていた。(「朝日新聞3月4日「オピニオン」)
『国辱』という言葉まで出たらしい。メディアのバッシングは、そこまで行ったか。
もう少し行けば、『国賊』『非国民』という言葉まで出てくる今の一部メディアの雰囲気だ。
「一連のメディアスクラムめいたバッシングは、かつてのイラク人質事件の騒ぎを彷彿させた。」と斉藤環は書いている。
本人の謝罪会見を引き出し、親にも謝罪のコメントを取りに行ったマスコミ。
倫理というよりも印象を問題にして世間の気の済むように当事者と家族を「さらし者」にして叩いてしまうという日本の構造こそが問題だと、斉藤環は指摘していた。

折しも、イラク人質事件の当事者だった高遠菜穂子さんの今を報道する映像を見た。(NHK 「クローズアップ現代」)
イラクで子どもたちの救援活動をしていた3人が人質になったとき、彼等の行為は自衛隊イラク派遣を妨害するものであり、国に迷惑をかける勝手な行為だと3人を囂々と非難する声が上がった。小泉首相は自己責任論をとなえ、自業自得だと、メディアはののしった。
幸い3人はイラクの部族の人たちのおかげで助かったが、帰国した後、高遠さんの精神状態は悪化し、自殺まで考えるようになった。
あの自己責任非難は、「私に、死ねと言ってるのだと思った」と語る高遠さんの声は、胸の奥から振り絞るようであった。
あの後、旅をしていてイラクに入った幸田青年は武装グループによって殺害された。死という結末を迎えたことによって、バッシングにはならなかったが、結果として彼は日本国内の自己責任同調によって見殺しにされたようなものだった。
高遠さんは、精神的にまいってしまったとき、自殺を思いとどまらせたのは、イラクの人たちからの信頼と励ましのメールだった。
そして再び心のイラクにもどって、イラクの人たちのために、子どもたちのために活動している。


タイではエイズの感染者がたいへん多く、2000年で100万人を越えただろうと言われているが、そこで起こっていたことについて、現地を見てきた長野県松本の神宮寺住職、高橋卓志が伝えている。
エイズは『性という人類の本能に根ざした病』であるとともに、感染後、症状が顕在化するまで相当な時間がかかる。エイズの感染原因のほとんどが、性交渉によるものであるという実態は、熱心な仏教国タイが作り上げてきた精神的風土からみると、その行為自体が社会的規範をはずれたものと映る。こういった風土の中で家族にエイズ患者が出た場合、家族は患者を遺棄する傾向になってしまう。」(『寺よ、変われ』高橋卓志 岩波新書
そうして、エイズ患者は寺の門前に捨てられるという。
17歳の青年は、父親の車に乗せられプラパートナンプ寺の門前に置き去りにされた。その寺は社会問題に積極的にかかわり、エイズ患者に開放してターミナルケア病棟をつくっていた。
タイではエイズ患者を家族から出したことは仏教風土からして認められることではなく、結局ひっそりと捨てられることになった。
そしてそれを救う寺が生まれた。
地域の人たちと協働する寺が生まれた。
「意志ある坊さんたちは、厳格で膨大な戒律の一部を放棄した。そして自らが社会の最も厳しい場所に入り込み、そこで苦しむ人々に寄り添い、共に生きるという道を選択したのである。彼らの活動領域は、農業や教育や医療という、いのちに直結した現場ばかりだった。」


朝鮮学校のなかで生徒たちはどのように生きているか、
民族学校がどのような歴史的経緯の中で生まれ、どのような経過をたどってきたか、
よく見てほしい。


ののしり蔑視するよりも、尊敬し認める活動と情報をこそ、大切にしたいです。
排斥し阻害するよりも、協力し支え、共生する活動と情報をこそ、大切にしたいです。
そういう社会の中で、未来を創る子どもたちが生まれ育つのです。