春になった。
空気が変わった。
まだ冷たさは残っていても、ほの甘さを含んだ澄んだ空気になった。
この空気、
中甸(チョンディエン)の村がなつかしい。
異郷の地でありながら、血の中に残る故郷、
心の故郷、
原風景が生き残っていた。
中国雲南省の奥地、中甸(チョンディエン)の村だった。
古都、麗江から約五時間、田舎の長距離バスに揺られ、チベット高原に向かったのは2003年の夏。
そこは標高3200メートルを超える高原。
周囲を山々が囲んでいた。
5000メートルを超える雪山もあった。
草原には高山植物がひそかに咲き誇り、
草原のあちこちに点々と大きな白壁の農家が建っていた。
シャングリラ(香格里拉)と呼ばれるところ、
千年余り前のチベット語の文献に、「神聖純潔の太陽」と書かれたところ。
ジェームス・ヒルトンの小説に、「山と森に囲まれた平和のユートピア」として描かれたところ。
中甸の質素なホテルに泊まった。
夜は寒かった。
街の道ばたで、農婦が手作りチーズを売っていた。
街を抜けて一時間半ほど歩いて、丘に登った。
丘の中腹に黄金色の屋根が太陽に輝くチベット寺院があった。
ひしめくように僧坊が寺を取り巻き、寺の麓に葦の生い茂る涸れた湿原があった。
あたりは麦畑、菜の花も咲いていた。
麦畑のなかを小川が流れ、土橋があった。
日本の昔にもあった小川の土橋。
土橋を渡って、蕪の畑を行くと、ひなびた小さな農村があった。
白い太陽が青空に輝いていた。
チベット族の木の農家を土塀が囲んでいる。
村に入る村道には木柵があった。
柵を越えて村に入った。
木の柵は、家畜が村から外へ出て、畑を荒らさないようにするためだった。
乾いた土の道、
仔牛たちが道ばたで寝そべっている。
その横を、鶏が餌をついばみながら歩いていく。
黒豚が数頭、村の道を自由に歩いて草を食べている。
家畜たちは、村の中ならどこへ行こうが自由だ。
家畜たちは自分の家がどれか分かっているようだった。
村人は、どの家畜がどの家のものか分かっている。
小学生が背中にカバンを背負って帰ってきた。
学校から帰ってきたのだろうか。
お母さんが待っていた。
子どもはお母さんに迎えられ、農家の一つに入っていった。
「ただいま」
「お帰り」
お昼が近かった。
刈り取った山のような草を背負って農婦が帰ってくる。
草の束が歩いているようだった。
村の道は、乾いていた。
影が黒かった。
ゆっくり時が流れ、雲が流れ、故郷が生きていた。