年賀状を出すのも、受け取るのも、数が少なくなった。
心のこもった、その人の今が伝わってくる年賀状を読むのは、楽しく、またなつかしい。
今年、受け取った賀状のなかに、こんなのがあった。
フジヤンからの賀状。フジヤンは重い病気を患い、九死に一生を得た。
その身体で去年の夏に薬師岳に登ってきたというから驚嘆する。
蓮華岳と針の木岳の写真とコマクサの花の写真を載せてあり、こんなことを書いている。
「その昔、山に登りはじめたころ、高山植物の女王と言われたコマクサになかなか会えませんでした。
その後、八ヶ岳山系の硫黄岳、燕岳、大天井岳、乗鞍岳などのガラ場で、何回も出会いました。
今でも、蓮華岳の風になびく楚々としたコマクサが大好きです。
70歳で山を止めるつもりが大病、くやしいので数年山を続けます。」
マサユキさんからの賀状は、小説を書いているマサユキさんらしく文章で埋められている。
「この60歳代の8年、小生らは『夫婦住み込み管理人』で何とか糊口をしのいできた。
この長期不況時代、選択の余地なぞ全然なかったけれど、今はかなりいい仕事に出会ったと感謝している。
忙しすぎず、暇すぎず、それなりにおもしろく、過去生活の総括もできる時間があった。
それでもこの間は長期間のブランクを経て、なんでもありの世間の荒波に適応していく過程だった。
それはいわば『幸せとは、不幸の回避ではなく、乗り越えるのが楽しい不幸』だったかもしれない。
マサユキさんはこれから70台に突入し、これまでの仕事も住宅も終わりになる。
「生ある限りこの『乗り越え』が最大の仕事になりそうだ。」
と締めくくっているが、
マサユキさんのこれからは不安定要素が強い。
ケイコさんからは、絵手紙の賀状だった。
「冬があり 夏があり
昼と夜があり
晴れた日と雨の日があって
ひとつの花が咲くように
喜びと悲しみ
苦しみもあって
私が私になっていく」
タンポポの花が描かれていた。
ユウイチさんの賀状には、円空が彫った観世音菩薩の写真が載せられている。
「優しく微笑んでおられ、観ている者の心がなごんできます。
円空は全国を遊行し、人びとが本当に救われるためには何が大切なのかを問い続けました。
そして、少しでも世の中からいさかいをなくそうとの思いを込めて、十二万体もの仏像を彫り続けました。
今の時代もいさかいが絶えません。いさかいの絶えないグローバル社会を 新しい秩序をもった社会へと創造していくには、
お互いが何を大切にしなければならないのか、円空が人びとの心が和むようにと仏像を彫り続けたように、
すべての人びとに仏が宿っていることを信じたいものです。」
長く教育運動をやってきたミチオ君は、今ゆったりと釣り生活を楽しんでいることを書いてきた。
「ダム湖で竿を並べた漁協組合長さんは、国や県の河川行政のでたらめを怒りました。
釣り堀で出会った老漁師は、『大阪湾は死んでしもうた』と悲しみ、
野池では、タクシーの運転手が、運賃値下げを競う業界の愚かさを嘆きました。
おばさん局長ひとりの山村の郵便局では、預金をおろしにきた老婆も加わって、過疎村の悲惨を語りました。
コーヒーやお菓子まで出てくるもてなしについ立ちそびれ、その日の釣りは諦めました。
釣り場にも、嘆きや怒りがあふれていました。
この声、鳩山さんにとどけ!」
虫眼鏡でないと読めないほどの小さな字で打ってきたのは、教え子のミワだった。
「息子のやんちゃが過ぎて、決まっていた高校が不合格になり、定時制高校に通いながら午前中アルバイトをしています。
子育てとは自分育てとも言ったもので、本当に忍耐忍耐の連続です。
まさか自分の息子がこんなことになるなんて、想像もしていなくて、今でもショックが尾を引いています。
でも、これも息子の人生! 何とか卒業だけはしてほしいと願うばかりです。
親の背中を見て子は育つとはよく言ったもので、悪いのは私たち親であり、責任を感じているから叱れないのが現状です。
こうして愚痴を言えるようになっただけでもましで、最近まで誰とも会いたくなくて、仕事以外は外に出れなくなっていました。」
ミワの苦しみを感じながら、ぼくは励ますしかない。
こうして書いてくれているだけ、ミワは乗り越えていく力をつけていく。
東京の大学に留学して来ているシェさんからの賀状は、日本の漆器産業と中国の産地の両者を調査しながら論文を仕上げる努力を傾注していることを書いてきた。
シェさんは、武漢大学での教え子だ。
日本の漆器産業は、今厳しい状態にある。
両国を比較しながらの研究。
伝統産業は今どうなっていて、これからどうなっていくだろう。
「昨年は、木曽楢川で聞き取り調査をしたり、中国に帰って湖北省恩施自治州の調査をしたり、忙しい一年でした。
今年も引き続き調査をし、学業に励みます。」
一昨年の冬、四人の留学生が我が家に来たことがあった。
「この国は、若者は、未来は、どうなるの?」
サナエさんは万感の思いを込めての筆だった。