山尾三省『祈り』


雪の日の工房



山尾三省屋久島の白川山(しらこやま)に移り住んで村をつくりました。
24年間、村で執筆と農耕の生活を送っていましたが、2001年63歳でこの世を去りました。
三省が屋久島での暮らしを描いたエッセイ集はぼくの愛読書でした。
心が浄化されるエッセイでした。
先日、ぼくの誕生日に、洋子が詩集をプレゼントしてくれました。
それは三省の詩集『森の時間 海の時間』(無明舎出版)でした。
三省亡き後、三省の60の詩のひとつひとつに奥さんの春美さんが味わい深い短文を添えています。

「祈り」という詩がありました。



         祈り


   南無浄瑠璃
   海の薬師如来
   われらの病んだ心身を癒やし給え
   その深い音の呼吸で 癒やし給え


   南無浄瑠璃
   山の薬師如来
   われらの病んだ欲望を癒やし給え
   その深い青の呼吸で 癒やし給え


   南無浄瑠璃
   川の薬師如来
   われらの病んだ睡眠を癒やし給え
   その深いせせらぎの音で
   安らかな枕を癒やし給え


   南無浄瑠璃
   街の薬師如来
   われらの病んだ科学を癒やし給え
   その深い青の呼吸で ひともとのすみれの花を学ばせ給え


   南無浄瑠璃
   天と地の薬師如来
   われらの病んだ文明を癒やし給え
   その深い青の呼吸の あなたご自身を現し給え



浄瑠璃というのは、清浄・透明の青い宝石・瑠璃です。
東方にある薬師如来の浄土は浄瑠璃世界、
薬師如来は、薬師瑠璃光如来と言われました。
薬師如来は、人びとの病苦を救う仏様です。
三省の祈りは、病んだ人と病んだ世界への祈りです。
妻の春美さんは、この詩に次のような文章を添えました。
詩の中の「閑」と「すみれ」は、子どもの名前です。


「子どもたちと浜でまきを拾った。
『お父さんが、閑も力がついたなあとほめてくれているだろう』と、私が言うと、
『昔は、こんな木を運んでほめてもらった』
と、閑は小さな棒切れを指して言った。
まきを積み込むと、車の中は潮の香りで満ちた。
すみれは、
『まき拾い 海の匂いの お母さん』
と一句ひねって笑っていた。
まきは少々湿っていたが、とろとろと美しく燃えて、風呂はゆっくりと沸いた。
ああ、私たちは、ただ、この暮らしを深めていこう。
流されることなく、ただ、この暮らしを楽しんでいこうと、
暗い夜の裸電球の下で思うのだった。」


この詩と短文を読むだけでも、三省家族がどんな暮らしをしてきたかが分かります。
その暮らしから世界を見、祈りました。
末期がんを自宅療養していた夏、三省は、
「山形のお母さんの所へ帰ってもいいと思うけど、白川山の人たちはみんなよい人ばかりだから、ここでもやっていけると思うよ。」
と奥さんに言ったそうです。
それからすぐに三省は妻と小学生三人の子どもを残して、この世を去りました。
家族は、白川山の村に残って村人と一緒に暮らしています。
三十二年前、三省が移住してから始まった村は、今十八世帯三十人が住んでいます。
詩集の中に、「ふるさと」という詩があります。
その第一連と第三連です。


    三歳児の心の底には
    すでに ふるさとがある
    十歳の胸の底には もうはっきりと
    ふるさと という言葉がある


    六十歳の胸の底に
    ふるさとが 力強く甦る
    八十歳のいのちの底に
    ふたたび なつかしいふるさとがある