山尾三省の詩 <2>

             ――ゆうこちゃんへ


    <『安曇野ジャグバンド』の若者たち。12月27日、解散記念コンサートだった。暮らしの中のあらゆるものを楽器にして演奏を楽しむ彼ら、熱気が溢れていた。新たな出発への解散だった。>


             ▽  ▽  ▽

『森の時間 海の時間』(山尾三省・春美  無明舎出版)は、今年の夏に出版されました。
各ページの上に三省の詩、下に奥さんの春美さんの短文があります。春美さんの文章がなんともいい文章です。
そのなかにこんな文章がありました。七回忌は、三省さんの七回忌です。




      「どこにでもいる」

    七回忌を前にしたある夕食時、
   『千の風になって』という歌のことが話題になった。
   私が
   「いい歌だけど、お墓の前で泣いてもいいよねえ。
   お墓参りの時、お墓にもお父さんはいると思うもの」
   と言うと、閑がポツンと、
   「どこにでもいるんだよ」
   と言った。
   父の死の直後、
   「人が死んだらどうなるの」
   と尋ね続けた閑が、六年の月日をかけて、
   自分でたどりついた一つの当たり前の答だった。
    ヌストビトハギが薄桃色の米粒ほどの花を付けて、
   誰にも気づかれずに秋を告げている。
   誰にも気づかれずに、閑の、「死」とそして「生」を問う旅も続き深まっている。


碌山美術館の庭園で、創設五十周年の記念コンサートがあった時、フォーク歌手の三浦久さんが、自分の作曲した「千の風」を歌いました。
とても心に感じる曲でした。
原詩の作者は不詳ですが、この曲の歌詞は、三浦さんが訳詩し補作詩したものでした。
よく歌われている「千の風になって」とは原詩は同じですが、曲も歌詞も違います。


         千の風

    私の墓の前に立ち
    涙流さないで
    私はその石の下に
    眠ってはいません
    私は風、千の風
    大空を吹き渡る
    おまえがどこにいようとも
    おまえのそばにいるよ


    春は名のみの風の中に
    夏は緑の木漏れ日に
    金色に揺れる稲穂の波の中に
    きらめき踊る風花にも
    私は風、千の風
    大空を吹き渡る
    おまえがどこにいようとも
    おまえのそばにいるよ


    私の墓の前に立ち
    涙流さないで
    私はその石の下に
    眠ってはいません
    私は光、千の光
    いつもおまえのそばにいるよ
    どんなに暗い道を行こうと
    おまえを照らしているよ


    私の墓の前に立ち
    涙流さないで
    私はその石の下に
    眠ってはいません
    私は島、千の島
    いつもおまえのそばにいるよ
    耳を澄ませば聞こえるでしょう
    おまえを呼ぶ声が


    だから、私の墓の前に立ち
    涙流さないで
    私はその石の下に
    眠ってはいません


三浦久さんは、三番の歌詞をオリジナルに付け加えました。
    「私は光、千の光
    いつもおまえのそばにいるよ
    どんなに暗い道を行こうと
    おまえを照らしているよ」
三浦さんのお母さんが亡くなられる直前に、一羽の鳥が飛んで来たそうです。それでこの詞が浮かんだといいます。


三省に、『洗濯物』という詩があります。



         洗濯物


    洗濯物をたたむほどのことに
    人生はあるか
    三年間かけて
    そんなことを考えていた


    この頃は
    もう考えない
    夕方
    よく乾いた洗濯物を取り入れ
    まだ陽の匂いの残るそれらを 正座して
    一枚一枚
    なるべく丁寧にたたんでゆく


    その日
    その秋(とき)の私の人生が一枚一枚たたまれて
    さわさわとそこに重ねられて


    山にはもう
    十三夜の月が出ているのだ



「洗濯物をたたむほどのことに人生はあるか。
三年間かけてそんなことを考えていた。」
と詠っています。
誰も考えないようなことを三省は考えました。
洗濯し、それを干し、太陽の匂いのついた洗濯物をたたむ。
人間の人生は、そんな日常の何気ないことの積み重ねです。
意味があるとか無いとかではなく、それが人生だから、丁寧にたたみたいです。
そうして生きて、そうして人生の幕を閉じて大自然の中に溶けていきます。


お父さんを亡くしたゆうこちゃん、悲しみのなかから再び気力がよみがえってくるでしょう。