「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 2

 

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 みかこさんは息子の学校の教育について書いている。日本では考えられない教育である。

 英国の公立学校では、中学の年代で「シティズンシップ教育」が義務付けられている。すなわち、政治や社会の問題を批評的に探究し、問題の根拠を探って意見を交わしあい、その知識を学び訓練をする教育である。

 その教育は段階が上がるにつれて、議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、法の本質や司法制度、市民活動などへ発展していく。

 みかこさんの息子はその授業を受けた。そして期末試験が行われた。「どんな問題が出た?」、息子に聞くと、

 「エンパシーとは何か?と、子どもの権利を三つあげよ。」

 父親が息子に質問した。お前、何て答えた?

 「自分が誰かの靴を履いてみること、と答えた。」

 自分が他人の立場に立ってみること、という意味だ。

 子どもの三つの権利って?

 「教育を受ける権利、保護される権利、声を聞いてもらう権利。」

 息子はさらに「遊ぶ権利、経済的に搾取されない権利とかがあると答えた。

 みかこさんが聞いた。

 「その授業、好き?」

 「うん、すごくおもしろい。」

 「エンパシーってすごくタイムリーね。今や世界中で切実な問題ね。」

 「うん、先生もそう言ってた。EU離脱や、テロや、世界中で起きている混乱を乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分とは違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大切なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。」

 そこからみかこさん、エンパシーとシンパシーの違いを考える。シンパシーは、他人をかわいそうに思ったり、他人を理解したり同情したりすること、エンパシーは、他人の感情や経験などを理解し、自分がその人の立場に立ったらどうだろうと想像すること、そうして感情や経験を分かち合う、知的な能力、そういうことなんだ。

 そしてこう記す。

 「11歳の子どもたちが、エンパシーについて学んでいるということは特筆に値する。」

 まったく日本では考えられない。

 

 「シティズンシップ教育」。

 日本の教育には「シティズンシップ教育」は空っぽである。教師の中にそういう意識がない。かつてそういう教育をした教師たちは偏向教育だとして左遷されたり弾圧されたりした。

 戦後に、無著成恭さんが「やまびこ学校」で行っていた教育、あれこそ「シティズンシップ教育」だったと思いだす。