山の雪形



    爺が岳鹿島槍


「常念坊の雪形が出てきましたね。」
秀さんが常念岳を見やりながら言う。
秀さんはゴールデンレトリバーのカイちゃんを連れて朝の散歩。
常念岳の東斜面に、常念坊が現れているというのだが、残雪の常念岳のどの部分を指しているのか、
雪の部分と黒い地肌とが入り混じって、よく分からない。
「あの前常念から下に雪渓が下りているでしょ。そこに黒い頭と体。」
「腰の辺りが途切れて、足がその下にあるのがそうですか。}
「そうそう、左を向いて、胸の前に徳利があるでしょ。」
そう言われれば、なるほどそう見える。
酒徳利をもったお坊さん。
それが常念坊の雪形という。
「常念から左へ稜線をずーっと行って、蝶が岳があるでしょ。
そこから少し下った鞍部の右上辺りに、蝶の雪形があるだ。」
チョウチョウが翅を広げて左上に飛び立つところなんだという。
チョウの雪形は残雪の形。
ほかの山の雪形は全部、雪が融けて現れた地肌の形を何かに見立てている。
田植えシーズンが到来した信濃の国
爺が岳には、種まき爺さんの雪形が現れた。
白馬岳には、代かきの馬の雪形が現れる。
雪形は、ほんとそのものにそっくりだ、とは言いにくい。
そう言われればそう見える、というようなものだが、
「だれが言い出したんでしょうね。だれかが言い出して、次第に広がっていったんですね。」
少し不思議な感じがしてきたから、秀さんにそう言った。
昔の人は農作業の節目を、自然の中の変化によって判断しようとした。
気温の変化も山の雪の量も年によって異なる。
一律に、何月のいつごろに何を植えるというようなわけにはいかない。
気温、地温、気象、植物の生育、動物の様子など、いろんな自然の状況を観察しながら、
農作業を決めてきた長い農耕の暮らしが、雪形の歴史にもあるのだろう。


鹿島槍が岳でも鳴沢岳五竜岳でも、この春登山者の遭難死があった。
そうとうなベテランが凍死したり、滑落したりして死亡している。
遭難事故があって何日後かに、ヘリコプターが救助に向かうらしく、爆音をとどろかせていた。
雨の中を行動し、その雨が吹雪に変わり、体温は急激に奪われてベタラン登山者が凍死したのは、鹿島槍だった。
かつての後輩の遭難と同じ、春の雨のもたらす危険だった。
最近も朝、晩霜が下りていた。
ところが、昼ごろには汗ばむ陽気になった。
山の雪は、どんどん融ける。
今年は融雪が早い。
融けかけた残雪を踏んで登る春山は、天候がよければ快適な登山になる。
が、ざらめ雪は夜に凍結する。
滑落事故は、雪と岩の状態の変化のなかから起こったと思う。


干ばつ、冷害、大雨、
その年の気象によって、農民は生きることができるかどうか左右されてきた。
農の暮らしは、変化する状況をしっかりとらえて、それに対処する知恵と行動力を持ち合わせていかねばならない。
だから、太陽、星、雲、山、川、動植物などの観察を怠ることがなかった。
雪形もそうした観察する眼がとらえた人によって、広がっていったのだろう。
種まき爺さんの雪形が現れたから、種まきしよう。
代かき馬が現れた、田植えの季節だ。


今年、全国的にミツバチの数が減っているという。
それが事実だとすると、ことは深刻になる。
ここらはリンゴ農家が多い。
授粉するミツバチがいなくなれば、えらいことになる。