首相は番頭であれ、ドン・キホーテであれ

おもしろい意見を書いている。
同志社大学教授の浜矩子氏(朝日紙)。


 「福田首相は『番頭外交』というもので世界に打って出ればいいと思っていた。
番頭外交とは、大だんながむちゃなことを言ったら『まあまあ』となだめ、
若だんなが遊びほうけていたらいさめる。
しかるものはしかり、かばうものはかばう。
グローバル化の時代には、賢い番頭さんが必要だと感じる。
いろいろなことをよく知っており、目立たないような名采配を発揮して、それによって丸く収まっていく。
7月の主要国首脳会議(G8サミット)が、名番頭の采配をふるう絶好の場面だった。
サブプライム問題、資源インフレ問題が吹き荒れる中、『私はこれをする』『あなたはこれをする』と、
政策協調のシナリオ作りでリーダーシップを発揮すべきだった。
議長にはそれだけの影響力と責任がある。
しかし、福田首相はそうした認識が希薄で、チャンスをチャンスとして読めなかった。
 新しい時代の宰相に必要な資質は二つある。
一つは番頭であり、
もう一つはドン・キホーテである。
ドン・キホーテには
①『自分さえよければいい』という考えから非常に遠い
②他人依存が強い
③腕力が弱い
――という属性が備わり、それでいて理念は高い。
グローバル化の時代は、『自分だけ生き残ろう』『自分さえよければいい』とみんなが思えば思うほど、一緒に奈落の底に落ちてしまう。
グローバルジャングルの砂漠化を防ぐのがドン・キホーテで、
新しい時代に相性のいいヒーロー像だ。
 それに、気配り、粘り腰、まめまめしさといった番頭的要素を兼ね備えていれば、鬼に金棒ではないか。
このような資質を合体したような宰相が、
早く日本から出てほしい。」


番頭は、商家の雇人の頭、店の万事を預かる。
首相は国民の雇人であって、国の万事を預かっている。
国の万事を預かっているから、リーダーシップを発揮しなければならない。
しかし、それでいてドン・キホーテだから、高い理念をもちながら他の人に依存して采配を振るう。
従来の一般的なドン・キホーテ像は、空想的理想主義者。
浜氏の言う「依存が強い」ということは、「おれが、おれが」という独善性や権力性におちいらないで、
他者を大いに期待して協調を引き出すということだろうか。
ロシアやアメリカ、中国などの大国のリーダーとは異質の宰相像。
ところで、ツルゲーネフの分類による「ドン・キホーテ型」というのは、
現実を無視し、独りよがりの正義感にかられてむこうみずな行動に出る人物の型だとか。
それではリーダーとしてふさわしくない。


今回、この論のようなリーダーシップを発揮したのが衆議院の議長である河野洋平氏だった。
欧米7カ国と日本の立法府の議長の集う、G8下院議長会議(議長サミット)を「ぜひ被爆地の広島で」と念願し、9月2日、平和と軍縮を話し合う会議の開催を実現した。
アメリカのペロシ議長は、原爆投下後、ヒロシマを訪れた初めての最高位政治家となった。
各国の議長たちは、原爆死没者慰霊碑に献花し、平和記念資料館で被爆者の体験談も聞いた。
これができたのは、河野氏の理念の高さと番頭としての采配であろう。
立法府の長が、その立場を活かして出来ることはいくらでもある。


日本の首相が、パールハーバーを訪れ、
中国の南京に赴いて犠牲者への祈りをささげ、
アメリカの大統領がヒロシマナガサキの平和記念式典に参加する。
このようなことが実現したら、世界はどう変わるだろうか。
これを実現するリーダーが出ないだろうか。
その役割ができる人は世界の番頭になれる。