東京へ行ったついでに、上野の国立西洋美術館へ行ってきた。
目的は19世紀フランスの画家、コローの絵画を観ること、
コローをこれだけ集めた展覧会は初めてということだった。
2時間かけて、じっくりコローの絵を堪能した。
自然を愛したコローの森の絵は、ぼくを森に引き込む。
高さが2メートルを越す大きな絵があった。
キャンバス左手の上まで木が生い茂り、絵に体を近づけると、
自分が森の中にいるような錯覚を覚えた。
近景の森の木々の間から遠景がのぞき、そこに地平線が垣間見える。
近景の森があって遠景の一点が明るく描かれ、雲の動く空が広がっている。
近景のなかには自然の中にとけこむような人物がいる。
そういう構成の絵がいくつかあった。
遠くの一点、未知の世界、そこはどんな世界だろう。
憧憬を感じさせるものがあった。
木々と空と大地、そこに包まれている人間、
観ているものも、絵の世界に引き込まれ包まれていくように感じる。
そして近景から遠景へ、視点は移り、描かれていない世界の存在を想像させる。
コローという人間を通過して描かれる自然は、
コローの純粋な心と感覚によって詩的世界へと結晶化されている。
人物画は、表情,まなざしにひきつけられた。
考えている眼、思いにふけっている眼、コローの人物画のまなざし、
どうしてこんなにも心を深く表すことができるのだろう。
「真珠の女」というタイトルのついた絵があった。
説明を読む前、モナリザのようだと感じたのだが、
説明に「19世紀のモナリザと呼ばれている」とあった、やっぱり。
1度全部の絵を観てから、
もう1度、初めから観た。
絵の具のタッチがみずみずしい。
照明にきらきら光る微細な粒子がある。
ホンモノはやはり違う。
印刷された画集の絵とは雲泥の差だ。
やはりその人の手が直接表したホンモノでないと分からない。
人間と森、
人間と木、
人間と空、
人間と、人間を育むもの、
ひとりコローの絵にひたった。