[安曇野] みんなの歩く細道


        提言


歯医者へ1時間かけて自転車で行った。
広域農道の歩道を行く。
車道を車がばんばん走る。
途中で歩道が切れてなくなった。
車道は危なくてとても自転車では走れない。
迂回して旧村に入り、現代の建物に入り混じる古いたたずまいの家を見ながら行くと、
道は遮断されて、また車の道に出てしまった。


風薫るこの季節、安曇野にウォーカーの姿がない。
車で来て、目的地で下り、また車で去っていく人たちがほとんどで、
ウォーキングやサイクリングをしながら、自分の足で大地を踏みしめ、景色や風土を楽しんでいく人の姿がない。
野を横切り、川を渡り、村を巡り、丘に登り、
草に触れ、小鳥の声に耳を傾け、
森の木漏れ日を浴び、
野仕事をする人、アートを創る人に出会い、
アルプスに沈む夕日を見つめる。
それが旅なのだが。


歩く人がいないのは、
歩く人に好ましい地域になっていないからなのか。
あるいは、
現代人は、もう歩く生活と歩くという考えを喪失してしまったのか。


歩く人がいなくなれば、
歩く人にふさわしい地域にはなっていかない。


車から観る風土と、歩いて観る風土とはまったく違う。
この地域はどんなところなのか、
歩かないと分からない。
住民であっても自分の住んでいる地域を歩いていない。
自分の家と近所と、車で出かけるルートと、
それだけでは地域は分からない。
市長も、議員も、市役所の職員も、
地域を丹念に歩いてみることだ。
どうしたら「愛すべき誇りうるわがまち」になるか。
安曇野の景観の実態は?
信濃の国は?
まずは歩いて観てみよ。
美と醜、危険と安全、
快適と不快、豊かさと貧困、
建設と破壊、いろんなことが見えてくる。
住民の意識はどうなっているか、
祖先からの文化遺産
自然の遺産、
福祉や教育、
それらはほんとうに大切にされているか。
歩けば、安曇野市の未来図、行なうべき施策ははっきりしてくる。


イギリスの人々が愛するコッツウォルズ地方、
自然と住民の生活が調和した美しい田園地帯。
イギリスの人々は100年も前から、「人間は歩く権利をもっている」という考えを具現化してきた。
「パブリック フットパス」(「みんなの歩く細道」)の思想は、土地に持ち主があるとしても、すべての人には歩く権利があるのだからと、
歩く人のために、みんなで公的な細道を創りあげた。
私有地にも歩道を通し、畑の中を通り、牧場を横切り、小川のほとりを行き、
民家の庭を通り、延々とどこまでもどこまでも、車の入ることのできない細道をつくった。
牧場には羊が餌を食み、藪を野うさぎが走り、小川には魚が泳ぎ、鴨が水を切る。
バラの咲く民家の庭を愛で、
牧草地で草を刈る農夫と声を交わし、
途中休みたくなれば、村のパブ(パブリック ハウス)に入る。
イギリスではまた「ナショナル・トレイルズ」と呼ばれる長距離の遊歩道を整備してきた。
イングランドウェールズを合わせると、その距離は日本の北海道から沖縄までの距離を超える。
イギリスは日本よりも早く、産業革命によって「世界の工場」となり、環境破壊を手ひどく経験してきた。
今も都会の石造りの建物に残る黒っぽい汚れは、当時の大気汚染の煤だといわれている。
その被害が、ナショナルトラスト運動を初め、このような運動を発展させた。
日本でも経済発展に伴う公害など環境破壊を経験して反公害と環境への意識が高まった。
その一つが、アメリカの自然歩道を参考にし、東海自然歩道をはじめ、全国各地に自然歩道が政府の手によってつくられたことだった。
しかし「パブリック フットパス」(「みんなの歩く細道」)の思想は、まだまだ日本にはなじみがない。


美しい自然景観と豊かな田園生活という、かけがえのない条件がそろっている安曇野であるにもかかわらず、
歩いていて感じるのは、調和の欠如だった。
歩く人の視野に入る景観は、ある場所での点の景観美はあっても、連続性がない。
かつてのこの地の特徴であった、住宅の周りに木立があり、家より高い木々が家と美しく調和していたものが、
今では、むきだしの様々な色や形の建造物が目立ち、その不調和が、景観をいちじるしく損なっている。
空を覆うような緑濃き並木道がつづいているところは、わずかしか存在しない。
ほとんどは並木を持たない、車とアスファルトを露出させる殺風景な道路である。
田中知事時代に作られ始めた「間伐材利用」という、いやしの「木製丸太の道路フェンス」はわずかしか設置されなかった。
春になると野道や畦に、除草剤がまかれ新緑の季節あちこちに枯れ色が目立つ。


歩いていて快適で、心がなごみ、感動するという、
そんな体験の起こらないところに人が来て歩くことはない。


緑に囲まれた建造物、家も、工場も、木立群や林の中にある。
安曇野を網の目のように流れる山からの疎水や川を市民の憩いの場にし、
魚が泳ぎ、水鳥が群れる、そのほとりにも、主要道路の歩道にも、並木が茂り、
市内いたるところに「みんなの歩く細道」が行き渡り、
真夏の散策は、どこまでも日陰を歩むことができ、のんびりくつろげる。
安曇野に満ちる調和の美。
そのビジョンが描かれ、市民が共有することができたら、
人間の意識に影響を与え、
郷土を愛する心、誇り、子どもの育ちや福祉にも影響を与えていくことだろう。
具体的に実践を始めている人たちもいる。
前区長のSさんは、レンゲソウを復活させ、春の田んぼを一面の花畑にする計画だという。
常念道路のハナミズキの並木を保護し清掃しているのはボランティアグループだ。
芸術・文化活動で活躍する人たちは、さまざまなイベントを行なっている。
まずは一本の道から始まる。
さて、どうするか。
新たにつくらなくてもよい。
今ある小道を選択し、それをつないで整えていくことでできていく。
住民の意識が、その小道を「パブリック フットパス」に変えていくだろう。
奈良の明日香から平城京に向かって通っていた「山之辺の道」をよみがえらせたように。
野道を通り、村を抜け、山すそを巡り、続いている「山之辺の道」。


コッツウォルズは、100年前から人間によって守られ生み出された美しい自然と景観、人の生活を保っている。
そして、これから100年後も変わらないだろうと、言われている。
一軒の古い空き家に札が貼られていた。
「この家を守ろう」
ナショナルトラスト運動で、買い取って保護しようという呼びかけだった。
1人の100万ポンドよりも、100万人の1ポンド、
ナショナルトラストの精神である。