「旗」(城山三郎)


作家・城山三郎が今年3月に亡くなり、あらためてその生涯と作品が注目されました。
NHKはETV特集で「城山三郎 昭和と格闘した作家」を放送し、その番組の最後に朗読されたのが、詩「旗」でした。
それは城山の人生をかけた魂の叫びのように聞こえました。


▽   ▽   ▽


   「旗」

  旗振るな
  旗振らすな
  旗伏せよ
  旗たため


  社旗も 校旗も
  国々の旗も
  国策なる旗も
  運動という名の旗も


  ひとみなひとり
  ひとりには
  ひとつの命


  走る雲
  冴える月
  こぼれる星
  奏でる虫
  みなひとり
  ひとつの輝き


  花の白さ
  杉の青さ
  肚(はら)の黒さ
  愛の軽さ
  みなひとり
  ひとつの光


  狂い
  狂え
  狂わん
  狂わず
  みなひとり
  ひとつの世界
  さまざまに
  果てなき世界


  山ねぼけ
  湖しらけ
  森かげり
  人は老いゆ


  生きるには
  旗要らず


  旗振るな
  旗振らすな
  旗伏せよ
  旗たため


  限りある命のために


    ▽   ▽   ▽


城山は昭和2年(1927)に生まれました。
15年戦争は城山4歳のときに始まり、18歳の1945年に敗戦を迎えます。
生まれてから18歳まで、日本の国には軍国主義が吹き荒れました。
多くの少年と同じように、城山も、戦争の大義と軍隊に魅了され、17歳で、祖国のために海軍に志願します。
しかし城山の入った海軍は、想像していたものとは全く違っていました。
一部の軍人たちは、愛国者の顔をしながらいかに醜いことか。理由もない体罰、ひっきりなしに振るわれるこん棒。兵士が芋の葉を食っているとき、士官たちはトンカツを食っている。
軍隊は腐敗していました。
結局日本は戦争に敗れます。
国あげて正しいと言っていたこと、自分もそう思っていたことは、うそだった。
「旗振るな
 旗振らすな
 旗伏せよ
 旗たため」
旗をおろして、たたんでしまえ、そこには城山の憤りがあります。
「熱に浮かされたように旗を振り、旗を降らせて」、多くの人の生活をふみにじり、死に追いやってきた組織の暴走。
それを見抜かず、ほいほいと自分たちの組織は正しいと信じて、人間を皆同じ色に染めようとしてきた人たち。
この詩は、それを見てきた人の憤りです。
旗を振り、その下で一体になることを、城山三郎は嫌悪し続けました。


「組織と人」は、城山の人生の大きなテーマでした。
組織の中にある『欺瞞』、組織の持つ『個人の束縛』、組織の中に生まれる『権力性』や『暴力性』、
そのなかで生きる一人ひとり。
ある人は組織の権力者に迎合し、ある人はひたすら自分の組織は正しいと信じ、
ある人は組織の暴力性に服従し、
多様を認めず、異端を許さず、弱者を排除する。


しかし、人間は組織なしには生きていけない。
人それぞれ、何かの組織に入っている。
国家、自治体、企業、政党、組合、宗教団体、運動体、学校、自治会、共同体‥‥。


では、「旗を振るな」とはどういうことなのだろう。
スポーツの試合では、チームの旗を応援団が振る。
学校対抗では、校旗を振る。
国際試合では国旗を振る。
がんばれ、がんばれ。


城山は、社旗も 校旗も、国旗も、国策なる旗も、運動という名の旗も、振るな、と言います。
なぜ? 何を言っているのだろう。

「旗」とは何でしょうか。
組織のなかに、君臨する人がいないか。
組織のなかに、個人の自由を侵害する力が働いていないか。
組織のなかに、みんなを束ねようとする力が強力に働いてはいないか。
組織のなかに、自分たちの誤り、間違い、よくないことを認めず、隠そうとする動きがないか。
組織のなかに、自分たちこそが優秀である、自分たちこそが正しい、という独善がないか。
組織のなかに、自分たちと異なる人を排除したり、弾圧したりする空気はないか。
組織のなかに、暴力や攻撃の力がひそんでいないか。
そうであるなら、旗振るな。
旗振らすな。
それでも、その旗を振るというのか。
城山の「振るな」と言う「旗」は、それらを象徴する「旗」。

みんなが幸せになるために、みんなが自分の選んだ生き方で、
互いに自分を尊重し合い、力を合わせる、
そのことを願っているのだと思います。