『昭和万葉集 巻七 山河慟哭』


    絶望と希望 《どん底からの出発》


戦争が終結した8月15日、ぼくは小学校2年生だった。
夏休みの昼下がり、井戸端からラジオのある家のほうを向いて立っているぼくの姿が目に浮かんでくるのだが、
その日の家族の記憶はぼんやりとかすんでしまっている。
戦争は終わったが、我が家にとって、家族8人がいかにして飢えずに生き延びるか、それがいちばんのことであった。
サツマイモ、小麦、ジャガイモなど、借りていた一反ほどの土地に家族総出で食べ物を作った。


敗戦。絶望に打ちのめされた人がおり、希望に胸をふくらませた人がいた。
悲しみに沈んだ人がおり、喜び、寿いだ人がいた。
一人一人に、悲しみと喜びがあった。


『昭和万葉集 巻七』(講談社)に掲載されている歌。
戦争終結土岐善麿の歌3首。


 あなたは勝つものと おもつてゐましたかと 老いたる妻の さびしげにいふ


    あなたは、この戦争は勝つと思っていましたか、老いた妻が寂しげに問う。
    負けることは分かっていたのではありませんか、と。


 子らみたり 召されて征きし たたかひを 敗れよとしも 祈るべかりしか


    子どもたち3人は、召集されて戦場に行きました。
    では、私たちは、この戦争を敗れよと、祈るべきでしたか。


 このいくさを いかなるものと 思ひ知らず 勝ちよろこびき 半年があひだ


    この戦争をどんなものなのか知らないで、勝った勝ったと喜んでいました。
    半年もの間。


息子を戦場で亡くした菊山當年男と、窪田空穂の歌。
息子の名前を詠み込んで悲痛きわまりなし。


 ジャングルのなかに 吉之助も 餓え死にしおらむと 涙にいふ 妻のこゑ


    ジャングルのなかで息子吉之助も飢え死にしているでしょうと、妻は涙声で言う。


 親といへば 我ひとりなり 茂二郎 生きをるわれを 悲しませ居よ


    親といえば私一人、茂二郎よ、生きている私を悲しませておりなさい。


後に兵庫県知事をつとめた阪本勝の歌2首。
帰還してきた息子の遺骨を抱く作者の憤りは激しく、
有馬の山々を焼き尽くしてしまえと心の中で叫ぶ。
そして絶叫する、わたしは、有馬野の草をかきむしり、石をかんで、戦争を呪って死んでいこうと。

  
 遺骨(ほね)を抱く わがいきどほり 火と燃えて ありま群山(むらやま) 焼きて果てしめ


 有馬野の 草かきむしり 石をかみて 呪ひ果つべし われはいくさを

    
空襲はなくなり、防空壕も灯火管制の必要もなくなった。明るくなった夜。
自由な世の中が来る。解放感、安心感を詠んだ歌。


 燈火管制 解かれたる夜の 窓の燈に 遠くまで見え 光る雨脚
                        鈴木三郎


 街街に 明るく電燈 ともりたり ともしびはかくも 楽しかりしか
                        大浜 博


 あかあかと 燈すこよひを 幼子も 瞳みはりて たのしかるべし
                        木俣 修


今とは違い、電灯はまだ白熱灯であったが、それでも戦時下の灯火管制がなくなって、
電灯の光の下に迎える明るい夜。
光はこのように楽しいものなのだ。子どもたちは目を見張って楽しそうにしている。


憲法の成立、これは国家の一大転換だった。
戦争放棄、人類史の大テーマが条文になった。
未来に伝えるべき偉業を成しうるか、平和憲法の制定。
土岐善麿の歌、3首。


 われらとはに 戦はざらむ かく誓ひ 干戈(かんくゎ)はすてつ 人類のため

  
   われらは永久に戦争をやめよう。このように誓って武器を捨てた、人類のために。


 まつりごと わが手にありと こぞり起つ 民のちからは つよくさやけし


   政治はわが手にありと、一斉に立ち上がる民の力は強く、明瞭である。


 たたかひに やぶれて得たる 自由をもて とはにたたかはぬ 国をおこさむ

  
   戦争に負けて得た自由、それをもって永久に戦争をしない国を興そう

                    
国会で新憲法が成立した瞬間、議場がしーんと静まり返った。
歴史に残る瞬間、国会議員たちの心にどのような思いが湧いたのであろうか。
そのときのことを忘れることがあろうか。
憲法成立して眺める国土、焼け跡に草が青々と芽を出している。
武器のない国に春が深まっていく。


 新憲法 成りたるときに 国会の 一瞬のしじま 忘れて思へや
                       入江俊郎


 やけあとの つちもめぶきて あをみたり ほこなき国を はるふかみつつ
                      金田一京助