「良民」という服従者・加担者


      辺見庸の体験から考える


辺見庸が「恥」について書いている。
イ・カンボジア国境付近の最悪のカンボジア難民キャンプでのこと、
テントに運び込まれるたくさんの屍体があった。
キリスト教の白人シスターたちがこのキャンプに来ていて、
ボランティア活動をしていた。
彼女たちは、硬直した手足を伸ばしたり、見開いた目を閉じたり、
手を胸に組み合わせたりして、
最後の安置に人間らしさを取り戻してあげようとしていた。


死者にかかわるシスターたちとは別に、
離れたところから眺めている者たちがいた。
辺見はその違いを内周と外延という言葉で分けていた。
死者にかかわる直接現場は内周、
かかわることをしない者たちは外延、
ジャーナリストたちは外延に位置し、辺見もその一人だった。
ポルポト派らしき男たちも、死者から盗みを働こうとする者たちも、
外延から見ていた。


辺見は、屍体を運び出しているシスターたちを写真に撮ろうとした。
シャッターを切った。
瞬間、シスターの一人が「ノー」と鋭く叫び、
辺見の顔を指でさした。
それはキャンプ全体に響き渡るほどの裂帛の声、気迫だった。
辺見はすくんだ。
辺見のおぼえた恥、それは、じわじわと体全体にひろがっていった。


「私にとっては、外延にあった私という実存の全否定にひとしいものであった。
それは、私の身体の内奥から発せられた『ノー』であったか、
もしくは彼女の叫びにすかさず呼応した私の、私自身に対する『ノー』であった。
死者とそれを運ぶ者の写真を撮ったことそれ自体が罪ではなかったのだと思う。
外延から、内周の闇にも毒にも染まることなく、
ただ見て撮って論じ妄想するだけの動作の
尊大と無責任が、ある種の荒んだ愉しみ、
すなわち罪ならぬ罪として告発されたのだ。」


「今後は死者を眼にしたら、書くのでも撮るのでも評じるのでもなく、
内周の闇に割りこみ、ひたすら黙して運ぶのでなければならない。
私がさきに運ばれる身になるかもしれないけれども、
そうでなければ、斃れた他者を運ぶか拭うか抱くかして、
沈黙の闇と臭気に同化するよう心がけよう。」
と辺見は思う。


オウムの地下鉄サリン事件が起こったときのこと。
辺見は、偶然地下鉄の構内にいた。
救急隊や警察が来るだいぶ前だった。
次々と人が倒れていく。
辺見は倒れた人を地上に運び上げて行った。
外国人を運び上げたときは、肩におびただしい吐瀉物を浴びた。
大変な事態が起こっている。
だが、現場にパニックがなかった。
不可思議な秩序が存在していた。
被害者とかかわりのない通勤者が地下鉄に押し寄せる。
彼らは、口から泡を吐き苦しみもだえている被害者を眼の端に入れながらも、
斃れているものをまたぎ、
生真面目に改札口に殺到し、職場へと急いでいた。
生真面目という点では、
通勤者も、駅員も、駆けつけてきた記者らも、
その職分において、じつに生真面目だった。
辺見は、このときサリン事件の被害者の内周にいた。


いったいこれはどういうことか。
サリンの加害者は「鬼畜」であり、被害者は「良民」、
それが一般的な見方、
ところが事実は、そういう構図ではなかった。
生真面目に職分に従事する通勤者も、記者も、警察官も、
心優しき「服従者」にすぎないのではないか。
そこには、言葉の優れた意味での、自由な「私」は一人としていなかった。
「良民」も、「加害者」に連なっているのではないか。


これが辺見の体験にもとづく思索だった。
この話を自分にひきつけて考える。
思考はそのように連続する。
学校という場でも、学校以外の人生のあらゆる場面でも、
ぼくもまた内周にいたり、外延にたたずむ「心優しき服従者」だったりしてきた。
「心優しき服従者」は、ひっきょう加担者。


社会は、相変わらずそのような構図をもって存在している。
職場において、地域社会において、政治の世界において、
生真面目をよそおう圧倒的な加担者が多数を占めている。
そうして国は動いていく。