子どもが小さいから旅


      Mさん家族の旅


畑を耕し、家の崩壊部分を改修・増築してきた五年間の生活で、引越し荷物がずいぶん増えた。
耕耘機が二台、
さらに増築用に準備してあった木材やら大工道具やら、
それらを含めてトラックで運んだ。
元体育教員の友人のTさんが自分のトラックで奈良から信州まで運んでくれたのだが、
その三回目の荷降ろしの作業に実に迅速的確に動いてくれたのがMさんで、
だから四回目の手伝いに奈良まで行くのを頼んだのだった。
彼は、「ウーフ」という世界的な組織を利用して、
太平洋のど真ん中の小笠原諸島から家族をつれて旅に出た。
最初の宿が信州の、ぼくの若い友人の農場。
「ウーフ」というのは、有機農業に関係している人が、
宿泊と食事を提供するかわり、一日6時間の労働を提供してもらうというもの。
ギブ・アンド・テイク、金のやりとりはない。
四回目の荷物運びに、Mさんが奈良まで来てくれた。
最後の荷物をトラックに積み込み、
安曇野へもどるとき、かれと車中でいろいろ話をした。
二歳の小さな女の子をつれ、
奥さんと一緒に旅に出たのはなぜ?
彼は、今子どもが小さいからこそ旅に出るのだと言う。
家族がいつも一緒にいて、
強いきづなをつくりながら、
世界を見て回る。
子どももいろんな体験をすることが出来る。
定住し、そこで職業を得て生活するのは、
子どもがもう少し大きくなってからだと言うのだった。
22歳の、このような人生観をもった若者もいることに、
深い感銘を受けた。
今は、安曇野の農場のりんご園で数週間働き、
5月の初めに高遠の「ウーフ」の宿へ移動する。
そこでは田植えをする。
フリースクールもやっている宿だという。
こうして彼は家族いっしょに日本を旅する。
自分に子どもがいなかったら、このようなことはしなかったでしょうと言った。
子どもが、このような生活を自分たち親に贈ってくれたのですと…。
22歳の父親は、しっかりと哲学を語った
「うちの奥さんは、宮沢賢治の愛読者ですよ。」
「そうですか、一致しましたねえ。」
安曇野の農場の主も四歳と二歳の子をもつ、
三十台の賢治ファンなのだ。
りんご園の主は農場歌を自作し、ギターを弾きながら歌う、
そのなかに賢治の童話「ポラーノの広場」に出てくる、
詩の一節が含まれている。

「まさしき希いに いさかふとも
 銀河の彼方にともに笑ひ
 なべてのなやみを たき木と燃しつつ
 栄えある世界を ともにつくらん」

Mさんは、
最初の「ウーフ」の宿にここに来れてよかったと、
その幸せを語った。