定住と移住


       引越し


樹齢八百年と言われるケヤキの大木が我が家の裏にある。
何十年か前に雷が落ちて、幹が半分焼けてしまったらしいが、
それでも元気に葉を茂らせ、
遠くからでも巨木の枝振りがよく見える。


ケヤキの隣、数メートルのところにイチョウの大木があった。
ケヤキイチョウは互いに風を防ぎ会い、支えあってきた。
ところが三年前、
イチョウの木の横に大きな屋敷を構える人が、
イチョウは敷地の境界線上に生えており、
塀をつくるのに邪魔になるからと、
イチョウを伐って塀を造ってしまった。


ひどい話だ。


木はそこに生えれば、自分で移動することはない。
ケヤキは八百年、そこにいて、毎日毎時間、
世界を見続けてきた。
イチョウも百年以上そこで元気に生きてきた。
ケヤキイチョウも、言うなればネイティブだ。
人間なら先住民。
先住民があとから来た人間に切り倒された。


アフリカから世界中に広がっていった人類の長い歴史、
あの山を越えれば、どんな生活が待っているか、
この海を渡ればどんなところへ行き着くか、
分からないままに、人は移住していった。
徒歩で引越しをしていった人。
ラクダに乗って移住していった人
幌馬車を連ねて、新天地を求めた人。
筏に乗って、冒険の旅に出た人。


茫漠としたあいまいな冒険。
もっとよいところがあるかもしれないと、
一縷の望みをたずさえて。
引越し先に定住して生活を作った人たちがいて、
そこからまた引越しをしていった人たちがいて‥‥。


そこに住み着いて、
家屋敷をつくり、
骨を埋めていく人たちがいる。
農耕生活を営む人たちは定住したところが故郷になった。


ぼくら夫婦は、この地に五年前に来て、
築七十五年の、二十五年は空き家だった古家を無償で借り、
崩れた壁を補修し、
雨の漏る屋根瓦の隙間をしっくいで埋め、
抜けた床を張り替え、
自力でこつこつ補修して、
一反の畑を耕しながら生活してきた。
南海地震が来るという話だから、
来ればたぶんぺしゃんこになるだろうと、
すでに五度ほど傾きかけている家に、
これも自分で地震対策をしてきた。


昼間も電気を点けなければならない暗い家は、
夏から冬まで蚊が来襲し、
冬はしんしんと冷えたが、
背戸を出れば畑の作物が豊かに稔り、
春は菜の花、夏はカンゾウ、秋は彼岸花が畑を彩る、
虫と鳥の天国だった。
庭の深井戸の格別うまい水を飲んで暮らしてきた。


安全で快適な家にしようとしている間は、
日の出前から日没後まで、農作業と大工に明け暮れ、
ほかへ移ることなど考えもしなかったが、
これからの人生、いかに生きるべきかというテーマと、
住生活の条件をもっとよくしたいという願望がうごめくようになって、
またもや新天地を遠望し始めた。
そして昨年暮れ、新天地を信州と決めたのだった。


ぼくらはとうとう四月二十二日に引越しをしようとしている。
毎朝、背戸の畑に出て、仰ぎ見ていたケヤキともお別れだ。
ケヤキは、これからまだまだ生きつづけるだろう。
生きて人間を見続けるだろう。
鎌倉時代から見続けてきた人間を。


ぼくらは今度こそ終の棲家になるだろう。


引越しもレンタカーのトラックで、
片道7時間半の荷物運びを二回やった。
最後は友人のトラックで運ぶ。
引越しやつれというやつで、
ほとほと疲れ果てている。