トリノに流れた「イマジン」


        トリノに流れた「イマジン」

     
トリノ冬季オリンピックの開会式で「イマジン」が歌われた。
あれっ、ヨーコ・オノだよ、メッセージを読み上げてる。
トリノ・オリンピックが置かれている、世界の危機がこの歌を選んだのか。
開会式の演出にいくらかの計算が働いたとしても、
放たれるメッセージは、放つ人、受ける人の心に純粋に響いていく。
あのときは戦場だった国ぐにのアスリートたちが、
クロアチアも、ボスニア・ヘルツェゴビナも、セルビア・モンテネグロも、
世界中の、砲弾に破壊された国ぐにからもやってきた。
たった一人、あるいはたった二人の国もあり、
雪と氷の祭典に、祈りをたずさえて。


やっぱり日本語の教師になりたいと言った歌の好きな雪ちゃんに、
二つの歌を聴かせたいと、店をさがしたが、
ボブ・ディランの「風に吹かれて」のCDは見つかったけれど、
ジョン・レノンの「イマジン」は見つからなかった。
CDラジカセを持っていない彼女に小さなサンヨーの機種をプレゼントして、
「風に吹かれて」を聴いてもらった去年の北京の植物園。


十五年前、ノルウェーオスロの目抜き通りで、
道端に腰をおろした若者がひとり、ギターを弾き、
「イマジン」を歌っていた。
閑散とした首都の街、二、三人が聴いて立ち去っていく。
広場を隔てた中世のビルの屋上に立った二人の男が、
トランペットをりょうりょうと吹き鳴らし、
地上の合唱隊は手回しオルガンの伴奏で歌っていた平和な風景。


ジョン・レノンが殺され、1980年12月14日、
ヨーコの呼びかけで世界同時に黙とうが行われ、
「イマジン」が流れた。


アメリカ、イギリスで戦争遂行が国の政策になったとき、
「イマジン」は抑えられた。
先日、日本映画大賞を受賞した映画「パッチギ」の主題歌「イムジン河」、
ぼくが武漢の学生たちに聴いてもらった長渕剛の「静かなるアフガン」、
それらも日本で自主規制の対象になったことがあるとか。
歌う魂をもつ人は歌い、聴く魂をもつ人は聴くというのに。
理想を画き、何歩も先を行く音楽があるというのに。


「イマジン」の歌詞を学級通信に載せたことがある。
それを読んだ同僚の若い女の先生は感激して、
私も生徒になりたいと言っていたが、
彼女はベルギー人と結婚して、ベルギーへ移住して行った。


 「イマジン」はこんな歌詞です、雪ちゃん。


   想像してごらん 天国なんて存在しないと
   想像すれば簡単なことさ
   僕たちの下に地獄なんてなく
   ふり仰げば空があるだけさ
   想像してごらん すべての人々が
   今日を生きているんだと


   想像してごらん 国境なんて存在しないと
   そう思うのは難しいことじゃない
   殺す理由も、死ぬ理由もない
   宗教なんてものも存在しない
   想像してごらん すべての人々が
   平和のうちに暮らしていると


   僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
   でも、僕ひとりだけじゃないんだ
   いつの日にか 君も仲間に加わってくれることを願うよ
   そうすれば 世界はひとつになるだろう


   想像してごらん 所有なんて存在しないと
   君にもそういう考えができるかしら
   貧困になったり飢えたりする必要はない
   兄弟同志なのだから
   想像してごらん すべての人々が
   この世界を分かち合っているのだと


   僕のことを単なる夢想家だと思うかもしれない
   でも 僕ひとりだけじゃないんだ
   いつの日にか 君も仲間に加わってくれることを願うよ
   そうすれば、この世界はひとつになって生きるだろう