花も悼んでいる

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 今朝、五時過ぎ、両手ストックをついて散歩に出る。

 「野のベンチ」に座って、山の歌を歌う。

 二号ベンチの横に植えた、ムクゲの白花が十輪ほど咲いている。

 野の中の一本のムクゲ、白花。

 少し歩く。稲田の水を調整するために、畔を歩いている高齢の男性が声を掛けてきた。

 「犬、どうしたんだい?」

 わけを話す。

 「土葬かい。」

 「そう、庭に埋葬してやりましたよ。」

 「そうかい、そうかい。」

 しばらく行く。柴犬のカイトが来た。おばさんは、洋子から聞いて、もう知っている。

 「ランちゃん、かわいそうだったね。」

 すり寄ってきたカイトの頭、背中をなでる。

 「カイト、元気だね、元気だね。」

 そこでまた、土葬の話が出た。

 「庭に埋葬して、墓をつくってやりましたよ。」

 そして、おばさんに、オミソちゃんの不思議話をした。

 するとおばさんが、こんなことを言った。

 「あのベンチの隣のムクゲ、あの花、ランちゃんが亡くなってから咲きだしたね。ランちゃんを悼んで咲きだしたね。」

 

 ムクゲの花もランの死を知って、悼んでいる。

犬は感知するのかも

 

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15年余り、朝夕、ランを連れて野を歩いてきた。

犬連れの人と出会うと挨拶し、会話を交わした。

そうして犬を介して「友」が生まれた。

世間で、「犬友」という言葉もある。

 

中型犬を連れたご婦人に14年前出会った。犬の名は「おみそちゃん」、毛色が味噌に似ているから、そう名付けたとご婦人が言った。保護犬のようだった。

その子(犬)は、ランに関心を示さず、知らんふりして歩いてゆく。臆病なのかな、と思った。

「おみそ」とご婦人は、いつもどんどこどんどこ走って散歩していた。かなりの距離を回ってくる。

一昨年ぐらいから、もうご婦人は走らなくなった。出会う回数も減った。

 

ランが死に、犬友と出会うと、ランの訃報を伝えた。みんな残念がり寂しがってくれた。「おみそ」のご婦人とは最近会うことがなかった。

 

数日前、その「おみそちゃん」とご婦人が、我が家の前にやってきた。

「お久しぶりです。お元気でしたか。」

挨拶を交わして、僕はランの死を伝えた。ご婦人は絶句し、不思議なことを言った。

「この頃、おみそは、遠くへ行きたがらないんです。早く帰りたいそぶりをするんです。ところが今日は、こっちへこっちへ、ぐんぐん引っ張ってきたんです。」

「おみそ」は近づいてきて、今までしたことのない行為をした。

僕の足もとに来て、ぼくがなでるのに身を任せたのだ。

それは、ランの死を感づいている、知っている、と言わんばかりの行動だった。

だれからも教えられなくても、動物にはそれを感知する力があるのではないか、

一瞬そう思った。

「おみそちゃん」は、ランの死を感づき、お別れの挨拶に来たのだ。

 

「おみそちゃん」のご婦人は、「不思議です、不思議です」と言って、

「おみそちゃん」を連れて帰って行った。

 

ランの命 3

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昨日の午後7時ごろ、ランは逝きました。

土間に、体を横に倒したまま、時々足を動かして、

もがいているような、夢の中で走っているような動きをし、

弱弱しく鳴いたりしていました。

眼はほとんど見えていなかったようです。

水を飲まず、食べず、

4日間、苦しみ、あるいは夢の中を過ごし、

とうとう命の灯が消えました。

 

この暑い夏に、水路の水に入るのが好きでした。

谷川からの水に脚を浸し、

何度もじゃぶじゃぶ水の冷たさを味わっていました。

 

後ろ足が弱って、遠くまで散歩できなくなり、

家の近くを何度も歩きました。

 

16歳7か月、寿命と言えば寿命です。

けれど、もっと適切な方法もあったように思います。

 

家族の一員、

寂寥の感が心にしみます。

元気な時、

ランは、夜、居間で一緒に過ごしました。

この16年間、一日に朝夕3~4キロは歩いたから、

一緒に歩いた距離の総合計は相当なものです。

 

ランを埋葬し、墓をつくってやりました。

 

 

 

 

 

 

ランの命 2

 

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夜中にランの声が何度も聞こえ、目が覚める。悲鳴のような、何かを求めるような。

起きていって、土間に来る。

ランは土間に伏せて、二本の後ろ脚が右に延びている。

頭の後ろをモミモミしてやると静かになった。

どうしたら水を飲むだろう、いい方法はないだろうか。

思いついて、ペットボトルに水を少し入れ、ランの口を左手で持って口を上に向け、ペットボトルの水を口に少し入れた。

ランは歯を食いしばり、口を開かない。水は歯の間から数滴口に入った。

何回か繰り返した。わずかな量だ。

 

夜が明けた。ランは体を横に倒し、目を開けず、ウォーン、ウォーン、ハウワウ、ハウワウ、と声を上げ続けている。鳴きながら、四本の脚をもがいている。あたかも走っているかのように。

洋子が、「散歩している夢を見ているのやわ。」と言う。

洋子がランに話しかける。

「ありがとね。よく散歩したね。楽しかったね。いつも元気だったね。」

ランはそれを聞いている。

そうか、ランは元気に大地を走っている夢を見ているのか。

走れ、走れ、ラン。颯爽と、風を切って。

 

一昨年の八月の猛暑の日、ランが動けなくなったとき、その時は動物病院へランを運んでいった。病院で点滴をうってもらい、一日入院もして、回復した。

けれど今回は、動物病院へは行かない。

 

16年前、ランは大分からもらってきた。小犬のランをゲージに入れ、瀬戸内海を船に乗って、奈良の御所の家にやってきた。

葛城、金剛山の麓、古道をよく散歩した。ランは元気いっぱいだった。

日中技能者交流センターで日本語を中国人の若者に教えていた時、ぼくらは、霧ヶ峰に若者たちを連れて行ったことがある。その時ランのリードを、女の子が持ってくれた。

 

信州に引っ越し、安曇野に住んでからは、ぼくらはランと一緒に、高原を歩き回った。夏、烏川渓谷に来ると、ランは谷川の冷たい水に飛び込んで自由に泳ぎ回った。毎日毎日、ランは元気の塊だった。

 

ランの命が尽きようとしている。

洋子はランの耳に、思い出と感謝を語り続ける。死の間際まで、耳は聞こえると言う。ランは聞いている。

 

悔いは残るが、ランの命を自然に任せている。

最期を看取ろう。

夢の中でランよ、走れ。

 

 

 

ランの命

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ランの命が尽きようとしている。

35度の酷暑のつづくなか、

なんとか耐えていたが、

今は水をのまず、食べ物を口にせず、ときどき悲鳴のような声を上げて、

助けを呼ぶような、苦しみの声を出す。

夜中も、二時間おきぐらいに、声を発し、

そのつど僕は起きていって、外に連れだし、トイレをうながすが、

そぼ降る雨のなか、庭の木立の間へ、

弱りはてた後ろ足で、よたよたと入って行く。

だが、何も出るものはない。

もう二日間、

ドッグフードも食べず、

好きな肉の缶詰も欲しがらず、

妻がおかゆをつくってやったが、

ほんのちょっと口にしただけ。

ときどき、グエ、グエと、口から粘液を吐く。

ぐるぐる、土間を回る。

16歳、人間なら80歳か90歳か。

とうとうランの寿命が尽きるか。

食いしん坊のランが、

がつがつと食べていたランが、

もう食べようとしない。

この盆に、孫娘たちが、ランに会いに行きたいと、

明石から電話で言ってきた。

「死んだらあかん、死んだらあかん。」

だが今、

「県境を越える旅行はストップ」

「外出は控えてください」

コロナがストップをかけた。

 

「スイカなら食べるかもしれない、

イカを買ってきてやろうか」、

妻が言う。

ランは元気な時、スイカが大好きだった。

 

その時が近づいている。

 

 

国歌

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 オリンピックで金メダルをとると、国歌の演奏が流れる。

 だがロシアは、かの五輪で国ぐるみのドーピング問題があって、国歌の演奏はなく、オリンピックには「ROC」、ロシアオリンピック委員会として参加していることから、国歌ではなくチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番が演奏されている。

 五輪憲章では、表彰式で国歌を演奏するという定めはなく、1952年から20年間国際オリンピック委員会を率いたブランデージは、国歌演奏を廃止するように訴えた。オリンピックに政治を持ち込むな、ということだ。だがこの訴えは通らなかった。「強国」、「大国」、経済力の強い国が大きな影響力を持っているからだ。

 ぼくはテレビの中継をあまり見ていないから、国家の難民たちで構成されている選手団の場合はどうなっているのか知らない、分からない。たぶん優勝という場面は出ていないから、話題になっていないのだろう。もし金をとったら、どんな曲を演奏するのだろう。香港の選手が金をとったときは、中国国歌流れたらしい。香港市民の間からは異議ありの声があったという。

 第二次世界大戦後、しばらくドイツは国歌をもたず、ベートーベンの交響曲第九を演奏した。

 大国、強国は、オリンピックを国威発揚に使う。自国民を一つに統率するために使う。

 日本は戦後、第二次世界大戦の敗北と罪から、新たな国歌をつくろうと運動が起き、歌も作られたが、結局頑強な保守イデオロギーが、戦前からの「君が代」を保守した。

 

 

オリンピックの原点

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 テレビから、「金メダル獲得!」という、興奮した叫び声が聞こえてくる。

 

 「オリンピックは参加することに意義がある」、というオリンピック精神は薄れてしまった。勝つこと、メダルと取ること、そればかりだ。

 

 ぼくはオリンピックの柔道の試合を見る気がしない。柔道がオリンピックの種目になってから、「柔道」は「剛道」になってしまった。レスリングと変わらない。力づくの技のかけあい。「美」は感じられない。

 

 戦後五年、ぼくは中学一年生だった。町の役場と、町の警察が、青少年の健全育成を名目に、町の柔道師範の協力を得て、柔道を教えることになった。ぼくは友達数人とともに柔道教室に加入した。費用はタダ。町が出してくれる。

 ぼくは、父が旧制中学時代に使っていた柔道着をもって、師範の道場に通った。

 師範は、嘉納治五郎の柔道の精神と技を教えた。

 「柔よく剛を制す。」

 「自然体で立ち、自然体で構える。」

 「力で倒すのではない。技で倒すのだ。力の強いものが勝つのではない。」

 「技がかかると美しい。無駄な力の勝負ではない。」

 「柔道は道である。 道は、人として守るべき条理である。追求して身に付ける理想である。」

 

  柔道が剛道になり、オリンピックの種目になってから、美しい技の勝負ではなく、力の勝負になった。

 

 今朝の新聞で、山極寿一さんが批判していた。

 スポーツの起源は「遊び」だ。仲良く遊ぶこと、その原点が楽しい。

 今のオリンピックは、商業主義、金儲け主義、国威発揚、放映権を求めて莫大な金が動き、結果、この猛暑の夏に開かれた。そして大規模な施設建設、開発が行われた。スポーツは金と名誉の獲得競争の場になっていやしないか。

 山極さんが提案していた。いっそのこと、開催地はギリシアに固定したらどうか。オリンピックは、平和と福祉に貢献する、遊びの場、交流の場。原点にもどろう。

 

 

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