新聞の連載小説を、毎朝読んでいる。池澤夏樹の「また会う日まで」。
この小説の連載開始は、今月の八月一日だった。その日、「この小説は読まねばならない」という思いがふっと湧いた。この小説が池澤の遺書のような気がしたのだ。彼は、1945年7月7日に生まれている。私より若い。敗戦の少し前。
小説は、こう書き出している。
「わたしのこの世での日々はまもなく終わろうとしている。
それをわたしは受け入れる。
主のみもとへ旅立つ。
この世に残す思いはない。
‥‥
わたしは主の前に立った時に自分が生きた毎日毎月毎年をきちんと報告できるよう生涯を整理しておかなければならないと思う。それはまたわたし自身のためでもある。
人はみな草のごとく、
その光栄はみな草の花のごとし、
草は枯れ、花は落つ。」
小説は戦中から戦後にまたがる。主人公は天文学者であり軍人であった。またキリスト教徒だった。
昭和十七年六月、連合艦隊はミッドウェイに攻撃をかけた。そして大敗を喫した。艦長の加来は船と共に海に沈んだ。
「昭和二十二年三月、わたしは後楽園で激しい雨に打たれながら、加来の身を包んだ海の水のことを思った。自分に降る雨の量はまだまだ足りない。
たくさんの仲間が死んだ。
たくさんの国民が死んだ。
たくさんの人間が、太平洋で、南洋の島々で、大陸で、越南(ベトナム)やフィリピンや蘭領東インドで、亡くなった。未だシベリアに抑留されている同胞もいる。
わたしは立ち上がれなかった。」
「一億の民の思いがうねりとなって国を揺り動かし、それを利用して思いをとげようとする輩(やから)が政治を動かす。
真珠湾の勝利の時、本当のところどれだけの勝算があったのか。山本五十六さんの危惧を共有する者がどれだけいたか。
今ならば問うことができる。しかし、我々はあの時にこそそれを問わなければならなかったのだ。」
歴史を訪ね続ける。過去を問い続ける。私もそれを日課にして、初めての小説を書き続けている。
それは遺書ともなるだろう。