母校の卒業生へのエール

 

 

 私は先日、卒業式をひかえた大阪府立K高校の、校長と教職員、そして卒業生のみなさんに、下記のような手紙を送った。一昨年出版した私の著書「夕映えのなかに」に、私の高校時代を30ページにわたって書いたことから、70年前の私の高校時代の、知られていない事実を知ってもらい、エールとしたいと思ったからだった。

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 「K高校考古学研究クラブ」、そこで三年間、私は研究活動をしました。考古学研究のような部活動は全国でも稀有な存在です。考古学クラブは、木造校舎の一階に部室を持っていて、そこには先輩たちが発掘した出土品が大量に陳列され、割れた土器を、部員たちが修復技術を学んで、接着していました。

 入部した私に上級生が話してくれました。

 「戦前、南河内には男子の旧制T中学校と、女子のT高等女学校があった。敗戦とともに学制が変わって、男女共学制になり、両校の生徒はそれぞれクジ引きで二分され、男子生徒と女子生徒が半数ずつ入れ替わって、男女共学のT高校とK高校が誕生した。考古学クラブは、旧制の中学に創設されていた部だったが、考古学部の顧問の教員がK高校に転勤異動したため、考古学研究クラブはK高校の部活動になったんだよ。」

 そういう話でした。

 それからK高校考古学クラブへは、旧制中学時代の考古学部卒業生と新制になってからの卒業生が度々やってきて、研究活動を指導してくれるようになりました。その中に大阪大学から神戸商船大学の考古学教授となった北野耕平さんがいました。耕平さんは、「縄文式土器の模様をどうしたらつくれるか」と言って、粘土を持ってきて部員にやらせました。けれど、どうしてもそのような縄目模様ができません。耕平さんは、「紐をころがすんだよ」と言って、やってみせてくれました。なるほど、粘土に見事な縄文ができました。

 河内の古墳の発掘調査があると、私たちのクラブに声がかかり、部員たちは発掘作業に加わりました。出土した土器、石器のいくつかは高校に展示保存しました。見事な壺や、円筒埴輪もありました。私も土師ノ里の古墳が道路建設で壊される時、発掘調査に参加しました。

 南河内は古代遺跡の宝庫です。古市古墳群があり、「近つ飛鳥」があります。私は河内野を歩き回り、ブドウ畑でやじりを発見したこともありました。

 驚くことに、考古学クラブは、戦後、新進気鋭の研究者によってつくられた「古代学研究会」にも加盟していたのです。「古代学研究会」は、戦前の歴史研究が、皇国史観によってゆがめられていたことから、国家権力に左右されない、事実に基づく研究を行うことを誓っていました。私たち部員は、その研究会のフィールドワークにも参加しました。枚方百済の遺跡を探訪した時のことです。昼食となり、五人のK高校部員は野原に腰を下ろして持参の弁当を食べていました。そこへ、「うまそうだな」と言いながら現れ、にこやかに遺跡の話をしてくださったのがⅠ 高校教員の森浩一先生でした。森先生は、気鋭の学者で、後に同志社大学教授となって雑誌「古代学研究」を発刊され、南方熊楠賞を受賞されています。森先生は、古代朝鮮と日本との深いつながりを話してくださいました。

 考古学部は橿原考古学研究所長の末永雅夫博士とも親しくなりました。先輩たちは、狭山にあった先生の家に行って、ご飯をごちそうになったりしていました。

 私は、朝鮮や中国から海を渡ってきたたくさんの渡来人が難波の港から上陸し、河内の「近つ飛鳥」や大和の「遠つ飛鳥」に向かって移動した道を調べて、大和の「飛鳥」まで一日で歩くことが可能だと分りました。また日本海側に上陸し、琵琶湖を経て飛鳥に至るルートも調べました。移動する渡来人の群れを想像すると、胸は高鳴りました。たくさんの渡来人と土着の倭の人とは協同して、古代の日本の国家と文化を創っていったのです。

 高校時代、私に大きな影響を与えたものがもう一つあります。山岳部があったのです。顧問の先生は日本山岳会の登山家でした。先生は夏休みに生徒を連れて北アルプスに登りました。その体験が私の人生を貫く、探検と登山、自然探究へつながっていきました。

 七十年前の高校時代、当時の自分の胸にあった、憧憬、プライド、悩み、葛藤、コンプレックス、友情‥‥、それを私は著書「夕映えのなかに」に書きました。

 歴史を知ることは、何らかの生きる力となると、私は思います。

 戦後4年目に出版された書、イギリスのパブリックスクール留学時代を池田潔が書いた名著「自由と規律」を、私は学生時代に読んで深く感動したことを覚えています。そのなかの、「握りしめたこぶしの親指の爪が青く掌に食い込むまで、母校の勝利を希う気持ちは強い。ただ彼らはこの感情を内におさえ、敵味方の立場を越えた拍手によってのみ、その評価を表現する」という文は私の心に深く残っています。

 高齢老躯の卒業生からこの手紙を、卒業していくみなさんと在校生のみなさんへ、エールとして贈ります。胸張って、新しい人生へ向かってください。