「失われた時を求めて」

 

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  フランスの小説家プルーストの「失われた時を求めて」はまったく長大な小説で、描写は複雑、精密をきわめる。記憶と意識をたどり、プルーストの生涯と人々の生を、死の数日前まで書き続けた。

 こんな文章がある。こういう文章に出会うと、ぼくはしばらく立ち止まってその世界にひたる。

 「暑い午後、はるかかなたの地平線から来る一陣の風が、ずっと遠くの麦畑をなびかせ、茫漠たるひろがりを波のように渡り、イガマメやウマゴヤシの間をささやきながら生暖かく足元に来て身を休めるのを見ると、私たち二人のこの野原が私たちを近づけ結び合わせるように思え、私は、この風は彼女のそばを通り過ぎたのだ、それは彼女からの何かの頼りで、私にそれをささやいてはいるのだが意味が分からないと考え、そうして吹き過ぎるとき、私はそれに口づけするのだった。左手にシャンピュと呼ぶ村があった。右手には、麦畑の彼方に鐘楼が二つ見え、それらはまるで二本の麦の穂のように、細長い、うろこ状の、蜂窩状の、被膜様の、黄ばんでざらざらしたものに見えた。

 リンゴの木は、白いサテンの大きな花弁をひらき、あるいは赤みがかった蕾のはにかんだ束をかけていた。私は初めて、リンゴの木が、陽の当たった地面におとす円い影や、夕陽が斜めに葉むらの下に織りなすかすかな金色の絹地を見かけた。父はこの絹地を乱そうと杖で夕陽をさえぎったが、その位置は決して変わらなかった。

 時として昼間の空を、雲さながらの白い月が、輝きもなくそわそわと渡ってゆく。‥‥」

 

 この小説の第一巻が発表されたのは1911年だった。