年賀状



 大阪の兄から電話があった。
「森君から、電話があったで。年賀状が今年は来なかったから、なんかあったんですか、そう言うてたで。」
こちらに電話してきたらいいのに、電話番号が分からんかったかいな。森君に電話した。
「兄のところに電話してくれたそうやけど、年賀状な、すまんすまん、出さへんかったんや。年賀状もろてて、返事せんかった。ごめん。」
「いやいや、元気やったらええねん。毎年来るのが来ないから、なんかあったんちゃうかと思うたんや。」
 話はそれで終わったけど、今年の年賀状、出さなかったのにはわけがある。去年、何十枚か年賀はがきを買って用意していた。これまでは親しい人に年内に出すということをしてきたけれど、相手の中には、もうやめたいと思っている人もいるかもしれないし、年賀状を受け取ったから儀礼的に返事を書く人もいるだろう。虚礼をやめたいと思うてるが仕方なく返事をする人もいるだろう。そこで考えた。年末には送らない。新年に届いた年賀状には返事をしよう。
 そうして新年を迎えた。年賀状を見ていて思う。ただ「謹賀新年」とか「明けましておめでとうございます」とかの印刷文字だけの人が何人かいるが、こんな形式的な中身のない年賀状に、返事する気になれないなあ、こういう年賀状の返事はもうやめる、肉筆の部分がある人には返事しよう。
 そう決めた中に、森君の年賀状があったのだ。それに去年の秋に森君とは大阪で会っていたから、まあいいか、と思ったせいでもある。そのことは森君には言わなかった。
 考えてみれば、去年森君は長年続けてきた印刷屋の仕事をやめていた。だから、たくさんの顧客や友人、知人に大量の年賀状を挨拶状として出したのだろう。そこに肉筆の内容を入れる余裕はなかった。でも森君からすれば、小学校からの友人、吉田の年賀状は、ほしかった。読みたかった。ぼくの年賀状はいつも、上部にぼくの撮った写真を入れ、その下に長々と9ポイントの小さい活字で半分ほど書き、残りの余白には相手に向けてペンでぎっしり書く。「謹賀」とか「おめでとう」とかの文字は一切書かない。
 そういうことだったが、何人かの人には義理を欠くことになった。
 そういう人に、寒中見舞いでも書くことにするか。