①ストックを突きながら

 


 「ゲルニカへのピカソの道」特別展を観たい。両手ストックを突いて、よく磨かれた石段を上っていった。ストックを突くと、痛む膝がいくらかカバーされて痛みが和らぎ、足どりも確かになる。
 ソフィア王妃芸術センターの入口から階段下まで入館者の長い列ができていた。順番が来てチケット売り場でパスポートを見せ、65歳以上だと分かると入館料は無料になった。
 たくさんの絵画のなかを、目指すは「ゲルニカ」。その展示室に入る。人びとの頭越しに見覚えのある絵が見えた。
 おう、「ゲルニカ」よ、壁面いっぱいに、縦3.5m、横7.8mの大作「ゲルニカ」。白黒モノクロームの牛の頭、死んだ子を抱えて泣き叫ぶ母親、悲鳴を上げていななく馬、天を仰ぎ救いを求める人、地面に倒れた手に刀を握っている人。
 
 スペインは、1936年7月、右派のフランコ将軍がクーデターを起し、左派と右派の対立が激化し内戦となった。左派勢力をソ連が支持し、右派はドイツが支援した。ドイツ・イタリアからの支援を受けたフランコ軍は、スペイン北部を制圧し、1937年春にはバスク地方に迫った。1937年4月、ドイツ航空部隊は、バスク地方ゲルニカを無差別爆撃し、ゲルニカは壊滅した。
 ピカソはパリでこのことを知り、すぐさま制作に取り掛かり、「ゲルニカ」は1937年のパリ万国博覧会で展示された。
 ぼくはしばらく「ゲルニカ」の前から動けなかった。ぼくの前には、小学二年生ぐらいの子どもたちが17人いた。床にしゃがんだ子どもたちの前に、女の先生が立って絵の説明をしている。子どもたちは頭をあげて真剣に絵を見ている。ときどき先生が質問をすると、挙手をして応えている。
 小学生のころから、こうしてこの国の子どもたちは、学校から街に出て、歴史や芸術、自然や街の人びとに直接触れ、感性と知性と行動力を養っている。子どもたちを見るのは、ここだけではない。芸術関係の施設に自然公園や歴史的遺跡など、いろんな所で、小学生、中学生、高校生の小集団に出会う。学校では20人学級なんだろうか。小集団の人数はだいたい十数人だ。その子どもたちの集団を夕方6時、7時になっても見かける。サマータイムになって、一時間早くなり、放課後の時間が長々とある。この国は昼食が午後二時ごろから始まり、夕食は午後九時ごろからだという。
 学校から出て学ぶ、それは驚くべき光景だった。
 緑の美しい公園を抜けて、この国最大のプラド美術館へ行った。常設展示品が1400点に及ぶという。有名な作品が多々ある。これを丹念に観るなんてことは無理な話。なんせ疲れる。美術館の中でもストックを突いて歩いた。
 目に止まり、心に止まった作品があった。 
 四寸柱のような十字架を肩に背負ったキリストの顔がリアルに描かれた二点、一点はティツィアーノの作品で、キリストの額から血の汗が噴き出ており、眼は充血して、血の塊が見られる。苦しみと悲しみの極致が表情に現れていた。もう一つはやはり十字架を背負いながら、両眼は空に向けられている。天なる神に救いを求めている苦悩の表情だ。四寸柱のような十字架は腰を砕くほどに重い。それを担ぎながらエルサレムの坂道を上がっていく。キリストが神ならば、なぜこのような苦悩と悲哀を身に受けて、やがてゴルゴダの丘で殺されるのか。この二つの絵の表情を見ていて、キリストの十字架にかけられる意味をぼくは感じた。もっとも過酷な体験を、みずからに課して、死んでいく意味。
 イエスは捕らえられ、処刑は朝の九時ごろに行なわれ三時に及んだ。イエスは大声で叫んだ。
 「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし。」
 なぜあなたは私をお見捨てになったのですか。
 キリストは、人間の罪や苦しみを一身に背負うて磔(はりつけ)にされた。神の子であるキリストは人間として死んだのだ。
 二つの作品、それだけがこの美術館で、ぼくの中に深く残った。