行方不明の放送


昨年夏の「福島の子どもたちのキャンプ」で。


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 畑の向こうから大音声が響いた。電柱ほどのコンクリート柱、その先端に取り付けられたスピーカーが数キロメートル先まで声を届ける。緊急放送だ。
安曇野市安曇野警察から、行方不明者のお知らせです。午後三時ごろ、十二歳の男の子が行方不明になっています。‥‥」
 放送は続けて、その子の服装や履いている靴の特徴などを述べ、見かけた人は連絡してほしいと告げた。安曇野の全域にこのような緊急放送のスピーカーがあちこちに設置されている。一昨年までは各家庭内に無線放送の受信機を取り付けていたが、市はそれを廃止し、この大音声スピーカーに変えた。これなら新規に転入してきた家庭、新築した家庭にいちいち無線の受信機を取り付けなくてもよくなる。
 行方不明放送は、年に何回ぐらい放送されるだろうか。十回? 二十回? 数えていないから正確ではないが、かなり回数は多い。認知症などの高齢者だろう、七十歳、八十歳という人の行方不明がやはり際立つ。
 畑を耕していたら、一時間ほどして、「見つかりました」という放送があった。
 はて? とこの時思った。十二歳の男の子が、土曜日の午後三時に行方不明というのは、どういうことだろう。普通の感覚からすれば、男の子はどこかへ遊びに行っているのだよ、そんなのいちいち心配なんかいらないよ、と思う。けれども放送があった。
 鍬を置いて考えた。今の子どもは、友だちと自由に遊びに興じることすらできない状況に置かれている。土曜日も日曜日も、普段の放課後も、友だちと自由に自分たちだけで遊ぶことができない暮らし方になっている。部活、スポーツクラブ、塾、習い事などが、子どもを拘束しているし、そういうものに参加しない子どもは家にいて、スマホとか電子ゲームにひとり興じている。それが常態だから、スポーツクラブに行く時間に子どもがいない、あるいはいつも家にいてスマホをいじっている子がいない、となったら「どこへ行った?」と親は不安になって捜すことになる。
 しかし、そうだとしても、そんなことで警察や市に「我が子が行方不明です、捜してほしい」と依頼するだろうか。ひょとしたら何か特別な事情があるのかもしれない。
 今朝新聞で、思いがけず我が意を得たりという文章に出会った。
 鷲田清一の「折々のことば」だ。
 「今の子どもたちの最大の不幸は、日常に、自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所を持てないということだ。」
 「建築家 安藤忠夫」の著作からの文だ。そして鷲田清一は、こう書く。
 「自立心を育もうと言いながら、大人たちは保護という名目で、危なそうなものを駆除して回る。そのことで子どもたちは、緊張感も工夫の喜びも経験できなくなった。安全と経済一辺倒の戦後社会が、子どもたちから自己育成と自己管理の機会、つまりは『放課後』と『空き地』を奪ってきたと、建築家は言う。」
 そのとおり重要な指摘だ。「自己育成と自己管理の機会、つまりは『放課後』と『空き地』を奪ってきた」。長い歴史の中で、子どもたちは群れて遊び、体験を通じて自分たちで育ち合った。そして、何が危険でどうしたら危険を防げるかを、体験を通して学び、仲間たちで危機の管理を行なってきた。その場が、放課後であり日曜日であり、空き地や川や雑木林だった。
 子どもたちが、自ら学び育つ場を根こそぎ奪い取り、壊してきた日本社会の危機に、いつになったら日の目があたるのだろうか。