兵士の短歌に詠われた「慰安婦」

 従軍慰安婦は短歌にも詠われていた。「昭和万葉集」(講談社刊)をひもとき、以前このブログに書いたあの歌をもう一度読む。
 体験したことをつぶさに兵士たちは短歌に詠んだ。アララギ派の浅見幸三の短歌は、「昭和万葉集」巻四に七首収められている。

    明空(あけぞら)と なりてしきりに 撃ち出せる 敵弾の下に 吾は目覚めつ
 <夜が明けてきたときしきりに撃ちだしてくる銃弾の音で目が覚めた。死を全身で感じる緊張した精神状態である。自分はいつ弾に当たるか分からない。>
 日本軍は、黄河と長江間を制圧するために要衝の武漢を攻略した。中国軍の抵抗は激しく、日本軍は武漢を占領したが、戦争は次第にこう着状態におちいっていった。
    患者輸送車を 護るトラックは 先行し 敵に砲火を あびせつつをり
 <傷病兵を乗せた車を武装トラックが先導していく。トラックは敵に砲火を浴びせながら前進していく。>
    野面(のづら)ひくく 鶴飛び立ちぬ 看護婦ら トラックの上 に喚声あげつ
 <24時間、従軍看護婦は傷病兵の看護に当たる。その激務は言語に絶する。トラックの荷台に乗って移動していた看護婦たちが、野面低く飛び立つ鶴を見て喚声をあげた。看護の仕事から離れた限られた時間、鶴は、彼女たちの心にしばし喜びを与えた。>
    墨汁と 筆たづさえて 学校の 抗日文字を 塗りつぶす吾は
 <中国の大地をゆく日本軍は、抵抗する中国軍の攻撃にさらされつづけた。日本軍への戦いを呼び掛ける言葉は、村や町いたるところにあった。学校の中にも抗日戦の呼びかけビラが貼ってある。その文字を墨汁と筆を持って塗りつぶしていった。>
    泊りゐる 船に傷兵の 乗りきたり その夕暮れに 命絶えにし
 <停泊している船に負傷した兵が乗ってきた。その兵士は夕暮れには命が絶えていた。>
    いろ古びし 黄鶴楼に 今日はのぼり 軍靴踏み鳴らし 楼をめぐりぬ
 <色古びた黄鶴楼、それは武漢市の長江のほとりにある。李白の詩にも出てくる古い歴史を持つ有名な高楼である。日本軍は武漢を占領した。兵士は軍靴を踏み鳴らして名所を見物する。>
    慰安所の 女等憲兵に 会釈して 連絡船に 乗り込み来れり
 <慰安婦たちは憲兵に会釈して連絡船に乗り込んできた。前線に送られていくのだ。>
 「昭和万葉集」の脚注に次の説明がある。「慰安婦は戦線に従軍して将兵の相手をする娼婦。日本軍は仲介業者に婦女子を集めさせて従軍させた。軍属の扱いも受けられず、輸送も物同様に扱われることが多かった。また大量の朝鮮人婦女子を動員して前線に送った。将兵の階級によって、下から現地人慰安婦朝鮮人慰安婦、日本人慰安婦と、相手を特定したこともあるという。慰安所は戦場に設けられた軍隊用の娼家である。」

 中国戦線に召集されていた歌人、近藤芳美は、兵士たちが前線で詠んだ短歌について、戦後しばらくしてこんなことを書いていた。深い言葉である。
        
 <   路地ゆけば 吾が兵服に 吠え立つる 犬をしづめて 支那人居りぬ   浅見幸三
 悪夢のような戦争であったが、それを戦った吾々であった。追いやられた戦争であった。追いやられた兵隊であった。前線で生きて行くためには吾々は何か言葉にすがらなくてはならない。よい兵隊として生きよう、一人の日本人として死のう、それが結局は帝国主義侵略戦争の一つの駒として加わることであると知っていても、洪水のような時代の中に他にどのように生きてゆけばよかったのであろうか。今からならどのようにも批判が出来よう。しかし、吾々日本人が、日本の庶民が、カーキ色の服を着せられ、三八式の手あかに汚れた銃を持たされ、異境の民と対峙させられた時のすべての声、すべての思想を、吾々は簡単にいま抹殺してしまうことは出来ない。異境の地に、生と死に、人間的なものと人間を否定するべき運命的なものとに、いやでも対面せずにはおれなかった兵隊の歌が、今ではほとんど想像も出来ないほどの検閲の網の目をくぐりつつ、どれほど彼らの本当の言葉を伝えてきたか。敵の銃の正面に立たされた時、兵隊は自分の銃の引金を引かなければならない。そうしてそのぎりぎりの思いを、兵隊たちは、国のためだとか天皇のためだとかいう既製のことばで言い表すことを知っているだけである。とにかくそう思わなければあの時代の隊伍の中には生きてゆけなかった。兵隊たちの歌にはその底に一人の人間としての、一筋の本当の声があったということである。それをどのように表現すればもっとも適切であろうか。僕はそれを兵隊が一人の人間としての、非人間的なものへの抵抗という風に考えている。前線の無名の歌人らはとにかく一筋の清冽な人間の声をあの時代に残してきた。最後の線のヒューマニズムが、あの悪夢の時代に於いて、前線作品に一貫してあったという事を、僕はこれからもくりかえし強調して行くであろう。
 はじめに記した浅見幸三の歌を見よう。僕らは戦火のあとのまだ硝煙の匂う街を想像する。巡邏して路地を行く兵隊、吠え立てる犬、それをじっと静めて見つめている敵地の民の眼。それは敵意だとも言えない。無論人間愛とも言えない。何か眼に見えないうつうつとした圧力に対抗して行く、息苦しい一人の兵士の思想を人はこの作品の奥によみ取るであろう。しかしこのような歌が、何もかも忘れて阿修羅のように銃の引金を引いている彼らの姿と常に並んでいる、否、そのような前線作品の間にふとしたように交わっているのだということをも吾々は知っていなければならない。>

 近藤芳美の文章は胸に迫るものがある。
 「昭和万葉集」に収められた栗林常雄の歌。栗林は新潟生まれで、昭和12年に応召している。

    越後兵 わが馬叱る ききとめて 笑ひすぎゆくは 四国兵らし
 <新潟出身の兵士が、自分の軍馬を叱っている。それを聞きとめて笑って過ぎてゆくのは四国の兵隊らしい。全国各地から召集されてきた兵たちの各部隊はそれぞれの方言が出て、戦場に日本の故郷が現れる。馬を叱る越後弁、そのとき兵たちの心が和らいだのである。>
    空爆に 屋根うちぬかれし 空家にも 住みつつ人は 壁を塗りをり
 <空爆に遭った中国の街、戦闘が去ったあと、屋根を打ち抜かれた空家に戻ってそこに住み、壁を塗っている人がいる。>
 戦争なんかなかりせばと、しみじみと感じる光景である。この兵士はこの歌を詠む時、兵士としてではなく人間としてここにいる。
    今日着きし 女ら過ぎ行くを 人垣越に 背のみ見てをり
 <今日到着した女たちが通り過ぎていくのを、人垣越しに背中だけを見ている。>
 女たちは慰安婦である。集められて戦場にやってきたのだ。この女たちを見る栗林の心をこの歌から感じる。女たちの姿は性奴隷としての姿であった。栗林の心にあったのはむなしさ、哀しさではなかったか。
 武漢を占領した日本軍、一兵士に立ち現われたのは、兵士を脱却した一人の人間性であった。
     ベートーベンの レコード揃え し喫茶店が 漢口中山路の 街陰にあり
                           中山隆祐
 すべて兵士がこの心に立ち返るならば、そう立ち返るならば‥‥。
 中山隆祐のもう一首。
     香炉峰いづれの峰か あをあをと かさなる山に 雪つもるあり
 白楽天の詩に詠われ、清少納言に書かれた香炉峰、学校で習った山を、戦場の一兵士が目でさがしている。青々と重なる山々に雪が積もっている。このときの兵士の心や如何。
 兵士の懐疑は深まる。川田順の歌一首。
     この戦争 われらの生ける世はおろか 次の時代に 続くおもひす
 どこまでつづく戦世(いくさよ)か、われらの生きている時代から次の時代へと戦争はなおも続いていくのではないかと。