何ができるか



福島周辺の農地に放射能汚染が進み、収穫時の米に基準値を超える汚染が推計されるところでは今年の稲作はできない。
近々、農水省が作付け禁止地区を発表するということだ。
禁止区域にならなかったとしても、福島の米は売れるかどうか危惧される。
稲だけでなく、畜産・酪農も含めて農業全体が悲観的な状況にある。
ならば、政府と農協など農業団体、農業者に提案したい。
「全国の休耕田で稲作や畑作を!」
「とれた作物を被災地に贈ろう!」
「ボランティアを志す人は、人手の足りない農家で援農を!」


イチゴ農家の報道を観た。
ハウス栽培のイチゴ農家に来ていた技能実習生が、この災害で中国へ帰国してしまった。
手が回らなくなったハウスのイチゴは出荷できず、だめになっていく。
そこで被災地の人たちに農家は働き手を求めた。
「宿泊場所を用意します。
時間給で、働いてください。」
仕事のなくなった避難家族がやってきた。
喜ぶ農家、喜ぶ避難者。
被災地を出て、出稼ぎに行こう。
悲観と絶望をその人の中にとどめてしまった結果、自殺をした有機農業をしている人もいた。
なぜ声を上げなかったのかと思う。
なぜ声をかけなかったのかと思う。
方法は必ず見つかったのにと思う。


昨日、社会福祉協議会のYさんに、電話を入れた。

「5月に予定の、第4回地域づくりワークショップを、この4月、できるだけ早く開催できませんか。
震災にしぼって、この地域の志ある人たちが集まり、
・今何を考えているか。
・今何ができるか、何をすべきか。
・どんな考え方が必要か。
それを参加者で話し合いませんか。」

Yさんは、市や社協のこれまでの活動の、お役所的不十分さをかみしめるように話す。
市民からの義捐金や物資の援助、被災者への空き市営住宅の用意などを市はしてきたけれど、現地の悲惨に応えてはいない。
現地へ視察に入った職員がいる、とYさん。
ならば、その人の体験も聞きたい。
ワークショップへの参加呼びかけも、一片の文書を送るだけでなく、NPOや社会活動をしているひとりひとりへの呼びかけが必要ではないか。
危機を、わがこととして、我が地域のこととして考えていくことによって、この地域の課題に迫り、みんなに望まれる地域へとつくられていくのではないか。
子育て、教育、高齢化、介護、一人暮らし、農業、この地域にあるさまざまな課題。
人への支援は、自分への支援でもある。
人への応援メッセージは、自分への応援メッセージだ。
志のある人が集まって、輪になってみんなで話し合う。
「やってみましょう。」
Yさんの元気な声が聞えてきた。
心を開き、知恵を出すことからから、ひとつの母体が生まれてくるかもしれません。
何かが生まれればよし、生まれなくてもよし、話し合うことに意義があります。