巡礼の道  歩く文化

病院の5階の端に、患者やお見舞いに来た人たちが面会したり談話したりする部屋がある。
その部屋の本箱に、漫画や週刊誌などが十数冊置いてあった。
積み上げられた本のいちばん下に、写真集のような大版の分厚い本があり、これはいったい何だろうと、引っ張り出してみた。
『遥かなる巡礼の道 ――スペインサンティアゴ・デ・コンポステーラへ(ユネスコ世界遺産)』と表紙に文字が刻印されている。立派な装丁の本だ。
開いてみて驚いた。
1ページ、1ページに手描きの地図が出てきて、それは道の鳥瞰図になっており、道に沿って麦畑や林や、村が出てくる。
川に橋が架かっていたらその石橋も、教会があればその外観も描き、教会の装飾も彫刻も丹念にスケッチされている。
要するに、東海道五十三次のように延々とつづく街道を、空から眺めたように描いて、道が分岐していればどっちの道を歩いたか、行き止まりになればそこから後戻りするのだとか、あまり上手でない字でメモしてある。
いったいこの本は何?
前書きを読んでみると彫刻家の池田宗弘氏が、1983年に 文化庁研修生としてスペインに留学し、ピレネーからサンティアゴ・コンポステーラまでの、750キロ以上にもなる巡礼路を歩いてロマネスク美術の研究を行ったときのスケッチを複製したものだった。
大作「サンティアゴ巡礼の道絵巻」。
サンティアゴ巡礼路は、1993年に世界遺産に登録され、世界各国から多くの旅人が訪れている。
1ページに1枚の地図、そこに書き込んである文字は小さくて、おまけに筆者の癖のある手書き文字だから読みにくい。
こんなエピソードが書いてあるページもある。


歩いていたらどこから来たのか、一匹の子犬が足下にやってきた。
捨て犬なのか、はぐれ犬なのか、そのまま構わず歩いていくと、どこまでも子犬は付いてくる。
池田は、足を速めて子犬を引き離そうとするが、子犬は一生懸命追ってくる。
藪に入り、丘に登り、小川をじゃぶじゃぶ渡った。
それでも、子犬は川を渡って付いてくる。
とうとう池田は子犬をまくのをあきらめ、荷物で両腕はふさがっていたが、子犬を抱いたまま歩き出した。
ひなびた村があった。
村に入ると、一軒の店でイヌを連れた夫婦に会った。
この子犬をもらってもらえないか、頼んだら夫婦はこころよく子犬をもらってくれた。


にわか雨に合い、建物の陰に入っていたら、何軒かの家の窓から人が見ている。
池田の体は雨に濡れるが、見ている人はだれも声をかけない。
「この村が嫌いになった。」
ある村で雨にあった時は、こっちに来てと手招きされ、招き入れられた。
「この村が好きになった。」

そんなことが書いてあるページもある。
世界遺産になった古道、今も人が歩いている。


2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として熊野古道が世界で2番目の道の世界遺産として登録された。
道は歩く人のものだった。
歩くという原点にたつ道が自然歩道として生まれた。
東海自然歩道は、東京の高尾山から大阪の箕面公園まで続いている長さ1,697kmの長距離自然歩道である。
近畿自然歩道、中国自然歩道、つぎつぎ生まれた。


古代からの道はどうなったろう。
エルサレムにはイエスが十字架を担いでゴルゴダの丘まで歩いた道が今もある。
嘆きの道をたくさんの人が歩いている。
チベットでは、五体投地しながら仏の道を歩いている人がいる。
車のなかった江戸時代までの日本の道を想像する。
難波の港から明日香にいたる、百済人の歩いた竹之内街道は、今は寸断され、破壊され、車道が占拠して分からなくなった。
明日香から平城京へつづく山之辺の道、当麻寺から笛吹神社、一言主神社などを経て風の森につづく葛城の道は、
細々と今人が歩いて継承している。
江戸時代、全国から伊勢に詣でる人たちは伊勢街道、伊勢別街道を、街道沿いの村の人たちの情けを受けて歩いた。今は旧村のはずれに石の標識が残っているだけだ。
歩く人があって、歩く道ができる。
歩く文化が盛んになって、歩く道は生きつづける。
歩くのも文化。
歩く人が増えて、生き生きとした社会が生まれる。