「創造の森学舎通信」に載せた一片の詩



 

    書類の整理をしていたら、22年前の「創造の森学舎通信」が出てきた。

 奈良県御所市名柄、金剛・葛城山麓、朽ちそうな古い空き家は平屋で、近畿大学の元教授、木村さんの家族が30年ほど前、住んでおられた家、「この家、あなたにあげます」と言われて、私はありがたく頂戴し、そこを住めるように、毎日朝から晩まで手を加えた。隙間の空いた外壁に板を張り、屋根に上ってずり落ちた瓦を一枚一枚上に上げ、雨漏りを防ぎ、トイレに行く外縁に風よけをつくった。天井裏は、ときどきネズミが運動会をしていたから、その出入り口を塞いだ。

 かくして、入り口に「森の学校・土の学校 創造の森学舎」の札を掲げた。古井戸にはポンプを取り付けて水を汲み上げ、お風呂は井戸水でわかし、隣の耕作放棄地を耕して野菜を作り、自給自足をめざす。手動印刷機を購入し、「創造の森学舎通信」を印刷して、友人たちに送った。

   その時の「創造の森学舎通信」の一部、処分するか、と思ったが、そこに書いていた茨木のり子の「答」という詩を読み返して、この詩だけはここに書いておこうと思う。

 

 

 

     答      茨木のり子

 

  ばばさま

  ばばさま

  今までで

  ばばさまが いちばん幸せだったのは

  いつだった?

 

  十四歳の私は突然祖母に問いかけた

  ひどくさびしそうに見えた日に

 

  来しかたを振り返り

  ゆっくり思いをめぐらすと思いきや

  祖母の答えは間髪を入れずだった

  「火鉢のまわりに子どもたちを座らせて

  かきもちを焼いてやった時」

  

  ふぶく夕べ

  雪女の現れそうな夜

  ほのかなランプのもとに 五、六人

  ひざをそろえ 火鉢をかこんで座っていた

  その子らのなかに私の母もいたのだろう

   ながくながく準備されてきたような

  あまりにも具体的な

  答えの速さに驚いて

 

  あれから五十年

  ひとびとはみな

  かきけすように いなくなり

 

  私の胸の中でだけ

  ときおりさざめく

       つつましい団欒

       幻のかまくら