自分の頭で考える


「縄」という語が中国の戦国時代の思想家・荀子の文に出てくる。
「まっすぐに伸びた木は、縄を当ててもまっすぐであるが、それをたわめて輪にするとコンパスを当ててもぴったりあうほど円くなる。
しかし乾燥すると、曲った木はふたたび元には戻らない。だから縄を当てて削ってまっすぐにする。」
君子はよく学び、智を得て、自分を常に振り返りながら磨いていくことだ、という論旨の、日本でもよく使われる「出藍の誉れ」の語の出てきた文章中にある。
この「縄」は木の曲直を測るために使われた「墨縄」。
古典の授業でのこと、ここは説明だけで終われば学問にならない。


平安時代の漢和辞書「和名抄」にも「墨縄」が出ている。
「墨糸」と同じで、大工や石工が直線を引くときに、今も使っている。
墨壷から黒い糸を引き出して、ぴんと張り、指でつまんではじくと、まっすぐな線が材木や石に印される。
縄は、測量の道具だった。
「縄張り」は縄を張って建てる建物の位置を決めること、「縄入れ」「縄打ち」は土地の測量をすること、「縄引き」は、縄を引いて田畑の境界を示すこと。


「縄」というとぼくのイメージはワラ縄になるのだが、麻縄、しゅろ縄もある。
縄という語の身近なのでは「縄跳び」という語がある。


今は化学繊維が主になってしまっているロープ、その一本を持って教室へ行った。
生徒たちに、
「運動場に、ロープだけを使って、ホームベースから一塁、二塁、三塁、マウンドを置く正方形を書きたい。
どうしますか。」

ロープが一本あれば、直線も引ける、
直角も測ってつくれる、
45度の角度もできる、
六角形もつくれる、
30度、60度の角度も描ける。
さてどうする。


「ユキヒロとケンタ、このひもを使って黒板にダイヤモンドをかいてください。」
指名された二人は黒板の前に出てきて、
なにやらごちょごちょ話している。
やがて、ひもをまっすぐ伸ばして一本の線を引き、
その線上の2点からひもを伸ばしてコンパスにし、円を描き、
円の交わったところを直線の中点とを結び、考え考え書いていく。


縄が定規にもなり、コンパスにもなり、
なるほど、なるほど、
そうして、
昔の人は、縄だけで測量して、いろんなものをつくっていった。
その知恵の後をたどっていく。
それは自分の頭で実際にやってみること。
発見を追体験していくこと。