報せ来る


この春、自分で運転してやってきて、思いのたけを語っていった。
まだまだ元気だった。
だが、全身にガンは転移し、肺もおかされ、
自宅で闘病していた彼女をぼくらが見舞ったときは、
「今年いっぱい持つかどうかと医師は言うが、自分は死ぬ気がしない」と言っていた。
そのS子さんが今日、力尽きた。
報は夕方に来た。
あまりにあっけない、
命のはかなさ。


東京へ帰りたい、その希望はかなわなかった。
夏の終りに、息子が結婚し、その式に出席できたことは喜びだったが、
疲労は身体に打撃を与えた。
式の後、東京からの帰り道、
八ヶ岳を右に見て高度を上げてくるときの苦しさを彼女は話した。


暑い季節を乗り切ったところへ、ここ数日天候不順で気温が急激に下がった。
おまけに住んでいるところの標高は高く気圧は低い。
そこへもってきて低気圧が次々と来る。
それらが、ぎりぎりを生きる敏感な身体に応えたのだろう。
健康な人間には分からない、
繊細微妙な反応がある。


いずれはみんな消えていく。
だが、まだまだ元気にやれる歳で、力尽きるのは寂しい。



    秋空に溶けて消えけり鳥の影


    胡桃弾け(はじけ)落つ八千草の茂る野に


    コスモスのほのかに白し夜の原