
2011年3月11日2時46分、ぼくは松本駅を発車し名古屋に向かう急行列車に乗っていた。午後、小学時代からの友だちと大阪で会うことになっていた。列車が木曽路に入った時、駅でもないところで列車は止まってしまって動かず、しばらくして車内放送があり、地震が起きたのだという。小1時間たったか、列車はのろのろと動き出し、名古屋まで徐行運転だった。名古屋駅は大混雑、超満員の新幹線で、なんとか大阪に着いて、待ち合わせ場所になっている天王寺の近鉄デパートの喫茶店に夕方たどりついた。待っていてくれたのは小学時代からの友、森、滝尾、鈴木の三人で、鈴木とは何十年ぶりかの再会、初めは誰だか分からず、自己紹介されて、驚嘆の叫びをあげた。鈴木は小学校時代の親友だった。
それから14年の歳月が経った。昨年、森君が逝ってしまった。今年、あの大地震のあった三月十一日に、驚嘆するドキュメンタリー報道をTVで見た。それには「感想戦」というサブタイトルが付けられていた。こんなことがあったのか、そのドキュメンタリー報道はこういう内容だった。
2011年3月11日の夜、埼玉のトリフォニーホールで、ダニエル・ハーディング指揮、新日本フィルハーモニーによる、マーラーの交響曲の演奏会が夜に予定されていた。巨大地震と津波は東北を破壊し、関東地方をも揺るがし、夜の演奏会を中止するか、決行するか、大変な決断を迫られることになった。この選択は、主催者にとって、指揮者にとって、演奏家にとって、大きな葛藤、迷いだったろう。そして決断が下された。演奏会を決行しよう。
その決断に驚嘆する。
結局、その夜の聴衆は105人。番組の中で演奏を聴いた人が語っていた。
こんな大災害の時に、好きな音楽を聴いていていいのかという後ろめたさと、それでも聴きたいと思う気持ちと、その葛藤を抱えて演奏会に出かけたと。
演奏家たちにとっては、それでも105人も来て聴いてくれた、105人にとっては、こんな時なのに演奏を決行してくれた、そして地震がなければ演奏を聴きに行く予定だった人たちの想いと、この想いの複雑さは計り知れない。「人間とは」を考えさせるものがある。そして、マーラーの曲がどのように聴衆の心に響いただろう。
「感想戦」という言葉を初めて知った。囲碁、将棋で、対局終了後に、対局した二人が互いに、初めから終わりまでの差し手を検討し、感想を述べあうことなのだった。