息子の紹介 心に残る出来事

 

 

 息子から

「僕がよく見ているインターネットのサイトに、Quoraというサイトがあります。みんなの質問に、色んな人が答えるというサイトなんだけど、いい回答が沢山あるサイトです。そこで、『教養はなぜ大事なのか』という質問があって、その答えが心に残ったので紹介します。」

 

 そこにこんな記事があった。思いがけない内容、心に残る。

 

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「2020年4月、まだコロナがさほど騒ぎになっていなかった頃。

 北九州市枚方市が、パンデミックに陥った中国にマスク等の支援物資を送付しました。その段ボールには、「山川異域 風月同天」という文字が書かれていました。

 やがてパンデミックが日本に波及すると、逆に中国から支援物資が届きます。その箱に書かれていた文字は、「加油」(がんばれ)に加えて、「春雨や 身をすり寄せて 一つ傘」というものでした。

 「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」(住むところは違えど風月の営みは同じ空の下でつながっている。この袈裟を送ることで縁を結びたい)

 1300年以上前、日本の長屋王が唐に送った1000着の袈裟に刺しゅうされていた言葉だ。鑑真はこの言葉に心を動かされ、海を渡り日本に仏教を伝える決意をしたといわれ、中日両国の千年にわたる交流史の佳話として伝わっている。

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 「山川異域 風月同天」

 

 異なる土地だから山や川は異なるけれど、私たちは同じ風を感じ、同じ月を観ている。心はひとつに繋がっている。医療物資は長屋王が送った袈裟に重なりますし、この熱い思いに心動かされた鑑真の人生にも思いが至ります。

 「春雨や 身をすり寄せて 一つ傘」

 こちらは夏目漱石の句で、正岡子規の「人に貸して 我に傘なし 春の雨」という句に返したものです。死期が近い友人が、「自分は人に傘を貸してしまい、もう手元に傘がないから、春の雨に打たれるしかない」と、やや投げやりに、絶望的に嘆く気持ちに対し、漱石が「春雨や 身を擦り寄せて 一つ傘」と返したわけです。

 傘なら僕が持っている。君と僕だ、身を擦り寄せて一つの傘に入ってゆこう。

 漢詩や俳句についての教養がなかったら、前者はせいぜい「いつも俺がいる 同じ空の下」ってところでしょう。後者は「一人じゃないから 私が君を守るから」みたいな感じでしょうか。

 教養がある人が「山川異域 風月同天」を目にした時、当時地の果てと言って良いほどの遠くからの強い思いを想起します。そして、その強い思いに突き動かされた鑑真の人生、つまり何度も渡航に失敗した上に不幸も重なって失明までしつつ、それでもくじけることなくついに異国に至り、戒律をもたらして堕落した日本仏教界を一新したという、そのとてつもない情熱に思いを致すのです。

 「山川異域 風月同天」は、ただの「がんばろう」ではありません。鑑真の昔から、同じ月を観て同じ風を感じる友人が送ってきた熱い思いに、中国側も感動を抑えられないわけです。

 「春雨や 身をすり寄せて 一つ傘」も同様です。パンデミックに襲われた日本は、今や医療物資が不足している。しかも、その医療物資は中国に送ってしまった。そこに届いたメッセージが、「春雨や 身をすり寄せて 一つ傘」。投げやりに、やや絶望的に、「貸してしまったから傘がない」と嘆く友人に対して、漱石が返した心優しい句。

 日本人が漢詩でメッセージを書き、中国人が俳句でメッセージを返しています。教養がなければこんなことはできないし、意味を理解することもできませ

 何かを伝えたいときはもちろん、思い悩むときも、苦しみ迷うときも、教養は多くのものをもたらしてくれます。実用的であるとか、必要最低限であるとかいう言葉は似合いませんが、困っている友人に、「山川異域 風月同天」「春雨や 身をすり寄せて 一つ傘」という言葉をかけられるような教養は、きっとこれからも求められるでしょう。