桃井和馬「戦場から祈りへ」の記事につづく。

 

 

 自然に湧いてきた「祈り」の思い、もう40年ほど前になる体験がある。

 薬師岳山頂で夕暮れを迎えた私たち五人は、頂の石に腰を下ろし、西の地平線を紅く染めて、太陽が沈んでいく光景を眺めていた。周りには私たち以外には誰もいなかった。無言の時が流れた。たしかにみんなは祈っていた。その時のメンバーは、日ごろ宗教とは無縁の生活だった。一人だけ小学校の教員で、三人は矢田南中学校教員の同僚だった。女性は二人。北アルプスに登った経験のない彼らは、夏休みに登山をしたい、連れていってほしいと私に言った。それを引き受けた私は、岐阜高山から北アルプスに登る計画を立て、上宝村から山に入り、三俣蓮華岳黒部五郎岳の鞍部から北へと縦走に入ったのだった。テントを二張りかついで、そこに泊り、三日目に薬師岳に登った。

 日は沈み始めた。地平線は赤く染まっている。たしかにみんなは祈っていた。私の中からも祈りが湧いた。

 高校、大学で山岳部に入り活動を続けた私は、淀川中学校教員になってすぐ、学校に登山部をつくった。そして、山に子どもたちを連れて行った。高校や大学のような「山岳部」の名称は敬遠した。六甲山系、金剛葛城山系、大峰山系、大台山系、比良山系、近畿の山をほとんどを登った。信濃の御岳山にも登った。20人から30人の生徒がザックを担いで、黙々と山に登る。矢田中学に転勤してからも、登山部をつくり、近畿の山の秘境に入り、滅びたと言われるニホンオオカミの吠え声らしきものを聴いた。矢田南中学勤務のときは、シンナーを吸引して非行に走る生徒たちを連れて、乗鞍高原の山小屋で一カ月以上の合宿をし、乗鞍岳西穂高岳に登り、非行を乗り越えた。

 その後、卒業生徒たちの何人かとは、日本アルプスに登り続け、生徒が成人してからも続いた。白馬山系、北岳立山穂高黒部川‥‥。

 空を見、樹々の肌に触れ、谷川で泳ぎ、火を焚き、星を見つめる。昇る日、沈む日に祈る。鳥の声を聴き、自然界にどっぷりとつかる。

 それは地球を感じることだった。そこに祈りがあった。私は、著書「夕映えの中に」に、詳しく書いた。

 桜美林大学桃井和馬氏の生き方に感動する。地球の吐息を感じる人間になってほしい、ホンモノの体験をしてほしい、そうして社会に出て地球を守ってほしい。その願いから、学生たちに呼びかけて、サンチャゴコンポステイラ大聖堂への巡礼の旅を行い、40日間歩きつづけた、この長い長い体験は、日本を、世界を、地球を、生命を、人生を考える旅になり、これからを生きる力となったことだろう。