ウグイスとアゲハ蝶



 我が家でウグイスの初音を聴くのは初めてだった。日曜日、朝食の時に、それらしき声が聞えた。まさかここでウグイスが鳴くはずがない。ここにきて12年が経つが、家でウグイスを聴くなんて一度もなかった。散歩して山手の方へ歩いた時には、数回聴いたことがあるけれど。
 ドアを開けて、確かめてみると、確かにウグイスだ。生垣のアカカナメの木の辺りから声が聞こえてくる。発声練習も兼ねているのかな、ちょっと下手なところもある。姿は全く見えない。茂みの中から声がする。
 いいねえ、うれしいねえ、少し寒いけれど。部屋の窓を開けて、声がよく聞こえるようにした。ウグイスは、一生懸命に鳴く。
 ここで、こんなにさえずっても、仲間がいないよねえ、つがいをつくれないよねえ、でも鳴くんだねえ。
 ウグイスは朝から昼まで鳴いていた。午後になって、声が絶えた。
 ウグイスの声が聞けただけで、幸せな気持ちになった。


 「ひえーっ、アゲハ蝶!」
 すっとんきょうな声がした。
 「こんなところに、アゲハ蝶がいる、来て来て」
 洋子が叫んでいる。
 「どうした、どうした」
 家のなかの、日当たりのいい南に面したガラス戸の内側に、冬の間、鉢物を並べてある。そこでアゲハ蝶はさなぎから孵ったらしい。
 「今、チョウになったんかな。じゃあ、いったい冬の間どうしていたんだろう。」
 鉢物の植物のなかに、緑の葉のものもある。その葉を調べてみると、少し虫食いの跡がある。これが幼虫の時に食べたあとかな。それにしては、チョウの餌には不十分すぎる。
 「こんなところでチョウが生まれるなんて考えられないなあ。」
 食べ物がないのに、どうして?
 考えられるのは、冬の初めに外に出しておいた植木鉢の植物にチョウの幼虫がいて、さなぎになったということだ。鉢は冬の間家の中に入れた。そこで、さなぎは冬を過ごした。そして飛来の季節になってチョウになった。
 
 アゲハは飛ぼうとしても飛べない。気温も低いし、腹も減っている。
 「ハチミツ、やってみよか。」
 洋子は綿棒の先を濡らし、そこに蜂蜜をちょっと付けてきた。チョウの口元に持っていくと、ひげのように巻いている口で蜂蜜を吸っているようだ。
 「外に出してやろうか。出してやっても、寒いしなあ。」
 「ま、しばらくここにいて、温かい日に出してやっぺ。」
 それから二日間、家の中でアゲハは過ごした。
 「蜂蜜をつけた綿棒を持っていくと、すぐに飛びついてくるようになったよ。今日は温かそうだから、蜂蜜を吸わせて、外に出してやったよ。しばらくじっとしていたけど、飛んで行ったみたい。」
 洋子がそう言ったから、庭を眺めまわしたけど、もうどこにもいなかった。