袴田さんの再審決定


 子どものころ、冒険小説を夢中になって読んでいた。小学高学年から中学時代にかけて、『ああ、無情』、『三銃士』、『巌窟王』、『アイヴァンホー』、『鉄仮面』、それら世界の名作のジュニア版を、畳に寝転んで汗握って読みふけった。
 『ああ、無情』は、原題『レ・ミゼラブル』で、ヴィクトル・ユーゴーの小説、『巌窟王』は『モンテ・クリスト伯』で、アレクサンドル・デュマの小説だった。
 『ああ、無情』は、貧窮のジャン・ヴァルジャンが1個のパンを盗んで逮捕され牢獄につながれる。4度も脱獄を図るが失敗し、19年間もの監獄生活を送った。やっと出獄した彼を待ち受けていたのは波乱万丈の生涯だった。
 『巌窟王』は、無実の罪で14年間孤島の牢獄に閉じ込められたエドモン・ダンテスの物語。
 ダンテスが、島の地下牢から脱獄していくシーンには、心臓の鼓動が聞こえた。脱獄して巨万の富を手に入れモンテ・クリスト伯爵と名乗ったダンテスは、自分をおとしいれた男たちに復讐をしていく。

 袴田さんが釈放された。死刑囚として48年間つながれていた刑務所の1坪半の空間から、自由な空間へと。30歳で逮捕され、昨日78歳で釈放。再審が決まり、袴田さんの無実がやっと日の目を見ることになる。
 弟の無実を訴え続け、牢獄から救い出すために奔走してきた、81歳になるお姉さんは、昨夜は、弟と枕を並べて寝たと言う。
 「弟は、明けがたいびきをかいていました」
と話していたお姉さんの言葉に、深い肉親の愛を感じた。
 「弟は、48年ぶりに海を見ました」
 幼少時代から共に育った二人、30歳で袴田家から引きちぎられるように連れ去られて、警察、検察、裁判所の権力の欺瞞によって人生を奪い取られてしまった。
 『モンテ・クリスト伯』は、残りの生涯を復讐にかけた。しかし現代、それはやれない。やってはならない。やらねばならないのは、どうしてこのような冤罪を引き起こしたか、隠された真実を明らかにすることだ。
 証拠とされてきたものが捏造されたものであったとすれば、そういう行為がどういう精神、どういう思考、どういう人間性、どのような体制のなかから生まれてきたのかを究明しなければならぬ。
 「拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」と裁判長は言った。袴田さんは78歳である。その人生を返せ。