避難・疎開・移住

 

望さんの地球宿に、何組かの家族が疎開してきている。
乳幼児を連れた家族ばかり。主に原発事故からの短期間の避難者だ。
母親だけが子どもを連れてという人が多い。
その中から、安曇野に移住したいという人も出てきていて、それなら相談会をやりましょうと、望さんが企画し二人の地元の人を呼んだ。
僕にもその企画のメールを送ってくれたので、参加させてもらった。
行くと、地球宿の居間に、7、8人の疎開してきた若い親たちがテーブルを囲んで座っている。
隣の部屋では、5、6人の幼児たちが盛んに声を上げて遊んでいる。にぎやかな外野席だ。
相談にのるのは、ひとりは、「NPO法人信州ふるさとづくり応援団」の秀和さんだった。
今朝、5日間のボランティア活動を終えて被災地から帰ってきたばかりだと言う。白いあごひげに、Tシャツ姿、70歳とは思えない元気ぶりだ。
もうひとりは、「信州ふるさとづくり」のメンバーだろうか、安曇野を出て20年間東京などで暮らしてきたが、結局10年ほど前にUターンで戻ってきたという熟年男性のKさんで、今はアパート経営もしている。


秀和さんは、初めに被災地のボランティア活動の報告をした。実際に被災地を自分の目で見なければ何もわからない。5日間の体験であったけれど、川の瓦礫を掃除したり現地の被災者と会ってみたりして、いろいろな問題点も感じたと、秀和さんらしい率直な意見だった。
そして、信州に住みたいという考えに対して一言意見を述べた。
移住したいと思う人は、環境がよいかとか、住宅はどんな家にするかとか、それだけを基準にします。
安曇野はすばらしいところだとは言えませんよ。旅行やホームステイで、ここはいいところだと思っても、住んでみればいろいろと難しいことがあるし、失望したり、理解に苦しむことも多々あります。
要するに、ユートピアなんてどこにもない、そこにはそこの現実的課題があることを知った上で、選ぶべきです、
という要旨だった。
これも初めの率直なアドバイスとして必要なことだ。
それに続いてKさんが、持ってきたコピーを配って、田舎暮らしの心得を具体的に話してくれた。
これがまた思いがけない話だった。
要するに、村の人との付き合い方の重要さだった。
初め僕は、避難という事態に置かれている人たちにはちょっとそぐわない感じもしたが、話を聞いているうちに、こういう話を準備してきたKさんの意図に大いに感心するところがあった。


Kさんは、二つの本を取り上げた。
一冊は、『安曇野 I ターン区長の ぼやき日記  田舎暮らし心得11ヵ条』(河村佳次 信濃毎日新聞社)、
もう一冊は、『にっぽん部落』(きだみのる  岩波新書)。


初めの本の著者は、定年まで関西の銀行に勤めた人で、穂高町に移住し、居住区の区長や安曇野市の区長会会長を勤めてきた。
そこで体験したことをもとに田舎暮らし心得を書いている。
内容は、都会から来た人たちの常識が田舎の人たちの常識とぶつかることから、どう考えるかという11ヵ条。
その中にこんなのがある。
「孤高派は都会のほうがお似合いです。」
「肩書き捨ててゼロからの出発。」
「『政教分離』には限界があります。」
この三つ目は、居住区で村の神社の祭礼や維持のために神社費を集めることに対する疑問が都会からの移住者から出てくることについてである。
先祖代々この地で暮らしてきた人たちにとっては、村の鎮守様であった氏神、しかし移住者にとっては、氏子になることは信仰の強制に感じられる。そこをどう考えるか、
Kさんは、一村にひとつある村の鎮守様の祭礼は、農を守ってきた村の文化として考えていく必要があると説明した。
Kさんは、きだみのるの文章から、『常会(隣組)』のものの決め方について、次の部分を取り上げた。


部落の議会は各戸から誰か1名が出席する仕組みで、そこでどんなことが話されたか、どんなことが決められたかは、全戸に徹底する。

「これは議会のうちいちばん民主的で、これ以上に民主的な理想的議会が作れはしない。決議はいつも全会一致方式、全会一致になる見込みがなければ決はとらない。多数決に慣れた都会人たちには、これは不思議にも作為的にも見え、少数派の尊重とも圧殺とも取られ、しばしば封建的反動的とも断ぜられているが、これは当たらない。部落は人数が少なく朝に晩に顔を合わしているので、鬼っ子を作っては部落の運営がうまくいかなくなる。」
「(貞三兄い)ーー そらあ、多数決の方が進歩的かもしれねえが部落議会にゃあ、向かねえや。多数決つうなあ決戦投票だんべえ。ここいらで決めるのはわが身の損得になる問題が多いんだわ。だから負けた方は論には負けるし銭はふんだくられるし、仲よしも向こうにつくでは、どのくれえ口惜しいか解るめえ。だからその恨みがいつまでも忘れられずに残らあ。それじゃあもう部落はしっくり行かなくなるんで部落会じゃあやりたがらねえのよ。‥‥十中七人賛成なら残りの三人は部落の付き合いのため自分の主張をあきらめて賛成するのが昔からのしきたりよ。どうしても少数派が折れねえときにゃあ、決は採らずに少数派の説得をつづけ、説得に成功してから決を採るので、満場一致になっちもうのよ。それに数が少ねえもの。部落が仲間割れしちゃあ少数派は元より多数派も茶飲みに行く家の数がへってうまかあねえもの。」


きだみのるは、部落の暮らし第一主義の現われとしている。
全員一致で決済していくことで、みんなが互いを知り、ひとつになって日常的に支えあっていく知恵だったろう。
しかし場合によっては、村の有力者がいてそれに村人の多くがただ従属していくこともあることも、僕は体験している。


Kさんは、資料をもとにしながら、こんな話を続けていくものだから、若い親たちはどう聞いていただろうか。
その後、移住したいと考えている疎開者との具体的な相談になった。


僕にとってこの話は、この3月の我が居住区の総会で、村の桜並木の大剪定について僕が意見を述べたことから起こった議論と、村の神社費の全戸徴収の問題など、僕が不可解に思っていたことがらを、改めて振り返り考え直すきっかけとなった。
5年前、安曇野に移住してきたとき、隣組や居住区から何一つオリエンテーション的な話がなかった。
そのことを思うと、我が常会(区)でこのような話があればずいぶん参考になり、この地でどのように暮らし人とつながっていくか考えられたのになと思う。
これからでも遅くはない。
新たな移住者と、村のお世話係との懇談が必要だと思う。