国会議員には二世、三世が多い。
私がかつて住んでいた奈良でも、地域の有力者として大きな力を持っていた政治家が亡くなるとその息子が跡を継いだ。
二世が村にやってくると、代々この地で生きてきた人たちは、一世のように盛大に迎える。
地方には、村の規模でも県の規模でも、その地域の有力者がいて、政治活動だけでなく、住民の冠婚葬祭、生活相談、もめごと相談などでも一役をになっていた。
有力者は他の地域やその上の有力者とのつながりを持った。
さらに彼の下で手足となって動く気心の知れた配下を持った。
親分子分の構造である。
親分が力を持ってくると、ボスとして君臨するようにもなる。
自分たちの勢力に利益誘導をするようになり、その恵を得るためにボスにすり寄ってくる者が増え、取り巻きの数が増す。
取り巻きはイエスマン。
その集団の結束は強い。
安定して存続するために、基盤は保守である。
革新的な勢力は、自分たちの基盤を破壊するから排除する。
日本の保守政治は、「根回し」という手法を重要視した。
あらかじめ他の派閥の頭領に根回しをして、同調・賛同を生み出す。
反対意見を封じ込める。
そうして議会・会議に臨む。
根回し方式は、各種の組織でも行なわれた。
地方の村でもそうだった。
議論を戦わせるまでもなく、有力者の意図どおりになる。
同調しておいたほうが安全、得策、
背いたら不利益になる。
あの人のいうことだから聞いておいたほうが無難、
悪いようにはならない。
仲間の一員としていられる。
なあなあ主義、なれ合い主義。
お世話にもなっているんだから、これでいい。
だからみんなは仲がいい。
君臨するものは安泰でいられる。
力を維持できる。
「君臨するもの」、
これが存在する集団は、ある期間は強固な団結を作り、力を持つが、年月とともに停滞とほころびが生じる。
そして道を誤る。
戦前の日本も、親衛隊で固めたナチスも然り。
中国もソビエトもその歴史の中で経験してきた。
今も世界で「君臨」が跋扈している。
根回しが揺らいできた。
君臨も揺らいできた。
日本の国の政治、
日本の集団、組織。
そこで、
議会、会議、集会、寄り合いが、率直で紳士的で、学究的な討議の場にできるかどうか。