『差別と日本人』と『「村山談話」とは何か』<角川書店>(1)



           差別
『差別と日本人』(野中広務辛淑玉 <角川書店>)を読み、
今同じシリーズの『「村山談話」とは何か』(村山富市佐高信)を読んでいる。
どちらも今年6月と8月に出版された新書。
自民党の国会議員にあって政府の重職にいた野中広務は、2003年、政界を引退した。
野中広務が注目されてきたのは、その政治家としての生き方と、彼が部落出身だということだった。
辛淑玉との対談をまとめた前者の本では、辛淑玉の鋭い切り口によって野中の本音が引き出されている。
野中には、差別の問題とアジアの問題に力を注いできた自負がある。

 「私が生を受けたのは1925(大正14年)。幼いころから軍国主義教育を受けてきたから、
ご多分にもれず軍国少年だった。
軍人として立派に務めを果たそうと覚悟を決めていた。
私自身が実際に軍隊生活を送ったのはわずか6ヶ月間だったが、それで『戦争』というものが終わったわけではなかった。
 日本軍によって中国に遺棄された化学兵器の数々、遺棄された残留邦人、原爆で傷ついたアジアの人たち‥‥。
そうした戦争の傷跡ともいうべき問題が、戦後60年以上が経過した今でも、処理されないまま横たわっている。
私も政治家として、こうした問題の解決にエネルギーを費やしてきた。
しかし未処理のものがかなりの数、残ってしまった。
私は、こうしたいわゆる『戦後未処理問題』に、残りの人生をかけてみたいと考えている。」


政治家として生きてきた。
しかし、やり残したものがある。
引退しても、それをやり遂げねば、自分の人生は何だったかということになる。
その執念、そこに魅かれる。
彼は、部落差別をなくそうと立ち上がった水平社の流れを受ける部落解放運動とは対極の、政界という権力機構に身を置き、
そのなかで、清濁合わせ呑む生き方をしてきた。
その彼が語る言葉。


「日本政府はこれまで、北東アジアの友好親善関係の構築が肝要であるとか、
あるいは互いが歴史をかがみとしようなどと、
口先では美辞麗句を並べ立てているが、
やるべきことをやっていない‥‥。
日本の将来を考えたとき、
日本が過去と真正面から向き合い、歴史を自分たちのものとし、
過去の戦争の傷跡を修復し、
中国や韓国、北朝鮮、さらにはロシアといった国々と信頼関係を築いていかなければ未来は見えてこない‥‥。」


「国会議員になってから、私はたびたび北朝鮮を訪問した。
90年代に8回北朝鮮に渡っている。
だから口さがない連中は、『野中は北朝鮮寄りだ』などと言ったが、そんなことはない。
私は北朝鮮に対し、相手が耳の痛いことも何度も言った。
だから、キム・ヨンスン党中央委書記から
『あなたは絶対に友好的な人でないから、これから何回も来なさい』と言われた。
それで何度も通うようになったのだが、
けっきょくは一番の友人になった。
外交とはそういうものだ。」


「あなたは絶対に友好的な人でないから、これから何回も来なさい」という発言。
常識的には「これからあなたは来るな」と言いたいところだが、その逆である。
その場面とその心中を想像すると感じるものがある。
野中は、「あなたは絶対に友好的な人でない」と言われても、心証を害することはなかった。
だから、「これから何回も来なさい」と言われたことを受けて何回も訪問した。
ここに野中の生き方の強い芯がある。


野中は、麻生首相についてもこんなことを話している。


「まだ麻生さんが総理になる前の、2001年4月の頃だったけれども、
ある新聞社の記者が僕に手紙をくれたんです。
手紙にはこんな内容のことが書かれていた。

麻生太郎が、‥‥会合で、
『野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。』
これは聞き捨てならん話だと思ったので先生に連絡しました。>

(麻生は)実際そう思ってるんでしょ。朝鮮人部落民を死ぬほどこき使って、金もうけしてきた人間だから。
彼が初めて選挙に出たとき、福岡の飯塚の駅前で、
『下々のみなさん』
って演説した。
彼はずーっとそういう感覚なんですねよ。」



対談相手の辛さんは、このことについて書いている部分の結論に次の一文がある。


「『麻生太郎』が政治家でいられるのは、大衆の差別意識の上に乗っているからだ。」


まちがった政治が行なわれる、そのことの責任は政治家にある。
しかし、それだけではない。


野中は、またこんなことを暴露している。
小泉首相北朝鮮を電撃訪問したときのことだ。


「(小泉首相は)お茶飲まない、食べない、それから泊まらない。
全部日本から持っていったものを食べていたようだ。
いっさい向こうから出されたものは食べないということで徹底しておった。
 向こうは共産主義国家とはいえ、もともとは儒教の国ですよ。
そういう国に行って、
お前が出したものはいっさい食べんぞと、
こんな失礼なことがあるかと。
そこからこの訪朝はまちがっている。」


考え方によっては、小泉のやりかたは潔いと、なるだろう。
だが、その時だけの潔癖感での行動が、その後にどうなっていくか。
あるいは潔癖感ではなく、別の意識が含まれていなかったか。
拉致問題は許されない。
だが、問題を解決していくには、もつれた糸をほぐしていく過程がいる。
外交は永続して行なわれるべきもの。
このときのことでは、国民に知らされていないことがあるらしい。
日本政府はそれを何一つ履行していないと野中は含みを残して語っている。
だから恥ずかしい国だと。