「しあわせ」・「母の手」(高田敏子)

高田敏子は、終戦後の1946年、30歳のときに台湾から日本に引き上げてきました。
着の身着のまま、無一文の敏子は、どうして生きていこうかと、東京の焼け跡にできた闇市をさまよいながら、
豚の内臓などを煮て売るおばさんになろうかと思います。
結局はミシンを踏んで縫う仕事を始めました。
ある日、ふと本屋に行って読んだ文芸誌「若草」、それが詩を作り、詩人になる道につながりました。


人はみな、幸せになりたいと思いながら生きています。
学校の中で、家の中で、仕事の中で、友人との関係で、近所の人たちとのつながりで、
人はいろんな場面で、
いろんなことを思います。
たとえば?


悲しみ、喜び、寂しさ、怒り、
楽しさ、憂鬱、不安、憎しみ、むなしさ、
希望、期待、失望、絶望、
実にさまざまな感情の世界を人間は心の中に湧き起こしながら生きています。


本当の幸せって、何だろう。
どうしたら幸せになるのだろう。


お金、学歴、地位、職業、名誉、物、
幸せになる条件を獲得しようとして努力し、
それができずに苦悩する。


でも、ふだんの生活の中で、ああ、幸せだなと思うことがあります。
高田敏子はこんな詩を作りました。


     ▽   ▽   ▽

      しあわせ


歩きはじめたばかりの坊やは
歩くことで しあわせ


歌を覚えたての子どもは
うたうことで しあわせ


ミシンを習いたての娘は
ミシンをまわすだけでしあわせ


そんな身近なしあわせを
忘れがちなおとなたち


でも こころの傷を
なおしてくれるのは
これら 小さな
小さな しあわせ


    ▽   ▽   ▽


次の詩も高田敏子の詩です。


    ▽   ▽   ▽


       母の手


夜半目覚めて
廊下をこちらに近づいてくる
静かな母の足音を聞くことがある
それを空耳と知りながら
ふすまがなお静かに開けられて
母の手が 私のふとんをかけなおす気配を
感じている


母の愛は
母が逝ってからもなお
寒い夜の私をあたために来る
白髪の
老いた母の 細い手


    ▽   ▽   ▽


読んでみてどう思いますか。
母から受けた愛、それを母が亡くなってからも、今あるかのように思い出しています。
私の記憶の中にもあります。
小学生だったとき、
冷気が布団のすそから入ってこないように、
真夜中に、寝ている私の足元の布団を静かに抑えて隙間をなくしてくれた、
母の手。
このようなとき、そしてそれを振り返るとき、
それが幸せと関係していることを思います。