キンモクセイの花


キンモクセイと秋の野


           キンモクセイの思い出


去年の秋、ぼくは日本語教師の仕事で信州にいなかったから、そのことに気づかなかった。
散歩していると、あのなつかしい香りが漂ってくるではないか。おお、おお、キンモクセイじゃないか。
安曇野にも、キンモクセイを植えている家があるぞ、ここでも元気に育つんだ。
植えている家は多くはない。ほんのたまに、香りのする家を通り過ぎて気づく。


金剛山の麓・名柄、家主・木村さんが無償で貸してくださっていた家には、2本の大きなキンモクセイの木があった。
樹齢は何年だろう。空家期間の25年間、剪定されたことがなかったから、2001年、その家に引っ越したとき、木は、伸び放題に枝を広げ、
一本はトイレの屋根瓦を突き崩し、落ち葉や落花が屋根の雨どいや接合部分に堆積していた。
枝を払い、剪定し、樹形は小さくなったものの、それでも10月になると、オレンジ色の小花を無数につけ、
背戸の畑で野良仕事していると、花の香りは秋空にまで広がって、一帯の空気を甘く染め、
香りをかいだ僕は必ずと言っていいほど、無意識に深呼吸をしてしまう。
体が香りに反応すると、心まで甘く、やさしくなるようであった。


剪定したあとのキンモクセイの幹や枝は、乾燥すると硬い材になった。
これを適当な長さに切って、等間隔に開けた板の穴に差し込んでいくと、なかなか趣のあるハンガーができた。
また、短く切って、箸置きにしたり、納屋のドアの取っ手にしたり、
「森の精」と名づけた人形を作ったりもした。
キンモクセイは木工の材料にもなる、愛すべきいい木だった。
今ごろ、名柄のあの家で、主を失ったキンモクセイは、静かな秋の空に咲き続けているだろうか。


5年前、中国の武漢大学で日本語を教えていたとき、校庭から風に吹かれてやってきたキンモクセイの香りは、なつかしかった。
九月の下旬だった。
広大な校庭の林や庭園には、無数の木が植えられていた。
キャンパスには、専属の庭園管理の職員や労働者がいて、木を植え、木の世話をしていた。
花期以外は、キンモクセイの存在が全く分からなかったが、花が咲き出してから木の存在が次々明らかになった。
ここにもある。あそこにも。
三回生の寮は桂園にあり、学生たちはキンモクセイに囲まれて生活していた。
二回生は梅園、四回生は桜園に彼らの生活拠点である学生寮があった。
キンモクセイはもともと中国原産の木で、桂花と呼ばれ、日本よりも庶民の生活の中に浸透している。
花を集めている人がいた。
何にするのかと学生に聞くと、砂糖と一緒に缶に入れておき、桂花糖を作るのだと言った。
学生たちにとっても、キンモクセイはなつかしい思い出に結びついていることが、キンモクセイをテーマにした作文を書いてもらって分かった。(私のホームページ参照)


「中国では、金木犀で茶を作ることがあります。ほとんどの人はこういう茶が好きです。
一杯を飲んだら、頭脳が明晰になります。また、金木犀のスープもおいしいです。
金木犀は、陰暦の八月に咲くので、私が小さかったとき、毎年中秋には父母、兄弟一緒に、金木犀の樹の下に座って、このいい匂いを享受しながら、お菓子を食べて月見をしました。」

「私が小さかったときに、母が金木犀の花を摘んで桂花糖を作っていたことを、思い出しました。
雑煮を煮るとき、この桂花糖を入れると、ほんとうにいい味がしていました。
母は今も、桂花糖を作っているのだろうかと思うと、故郷が懐かしくなりました。」

キンモクセイの花を思うと、甘い思い出が頭に浮かんできます。
それは高校時代のことです。私は勉強がとても忙しくて、毎朝早く起きていました。
母は、私が授業に遅れないように、私よりもっと早く起きて、甘いキンモクセイまんじゅうを作ってくれました。
このまんじゅうを食べたとき、母の愛を感じました。」


中国では、中学時代から寮生活に入る子が多く、高校、大学は寮生活になる。
金のある人は寮から出て、自分だけの部屋を借りる人もいるが、多くの学生は寮だった。
僕のいたとき、学生たちは一室6人が2段ベッドで起居していた。
彼らは集団生活のなかで鍛えられていく。