ぼくらは何を知っている


         ぼくらは何を知っている


莫邦富(モ−バンフ)という中国人ジャーナリストの小さなコラムを、
朝日新聞日曜版で読むのを楽しみにしている。
今は日本に住んでいるこの人の日本と中国を見る眼は暖かい。
しかし祖国に対しても意見はなかなか率直で厳しい。
19日の日曜版に、こんなことを書いていた。


小泉首相靖国神社参拝について、取材に来る日本メディアが多い。
その人たちに、大岡昇平の「野火」を読んだことがあるか必ず訊いてみる。
すると、だれ一人読んでいなかった。
東大の院生にも訊いてみた。
全員首を横に振った。
あまつさえその中の一人が、
オーオカショーヘーという人は中国人ですか、
莫邦富さんに質問したという。


莫邦富さんは、70年代から80年代、
上海外国語学校で教鞭をとった。
むさぼるように読んだ日本文学、
そのなかで「野火」に出会い、心を震撼させられた。


「野火」は、レイテ島の山中を逃げ惑う日本兵を描く。
飢えと絶望感から同じ日本兵の人肉を食う敗残兵。


莫邦富さんは数年前、中国黒龍江省の農村で、
畑の真ん中の小さな土饅頭に案内された。
葬られていたのは日本の開拓団員。
合掌する莫邦富さんの頭に、レイテ島の山中を彷徨する日本兵の姿が浮かんだ。


この夏、NHKスペシャルで報道された「硫黄島 玉砕戦」は、
わずかな生き残りの元兵士が、戦後六十数年を経て、
涙ながらに真実を語るものだった。
八月十五日前後に報道されたドキュメンタリーには、
満蒙開拓団はこうして送られた」「日中戦争 なぜ戦争は拡大したのか」
などの貴重な映像があり、ぼくはこれらを録画している。
真実を知らなければ、道を誤る。


硫黄島の生き残り兵たちは、その無残な体験を、これまで語ろうとしなかった。
一人が、かろうじて話したなかに、
炭になったのを食ったという言葉があった。
「炭」という言葉でしか言えなかった。
焼かれた日本兵のことだと思う。
極限の状態の中で精神はこわれ、人は人でなくなってしまうのだと。

 
日本軍の兵士の戦死者240万人のうち、7割160万人以上が餓死だったという。
食料の補給なし、現地調達せよ、
兵士は原住民の食を奪った。
敗残兵は見捨てられた。


かくして彼らは「鬼」になった。 
生き残った兵士の戦争はまだ終わっていない。
戦場に打ち捨てられた兵士たちのかばねは、115万5千人以上、
いまも大陸や海、戦場となった島々に残されたままだ。


戦場に送られて死んでいった彼ら、
そしてはるかそれ以上のアジアの人々の死者、
米軍の死者、
その一人一人、
一人一人の奪われた人生、
ぼくらは、<ほんとうのこと>を知らない。