あの時のあの曲


          あの時のあの曲


「この歌は、新しい歌ですね」
「子どもと先生で選んで流しています。」
若い先生がこたえた。
歌は、給食が始まると学校中に流れ出す。
中国からの転入生に日本語を教えるために、週に二回ぼくは地元の小学校に来る。
無償のボランティア、赤字の自治体だから予算がないと校長が申し訳なさそうに言った。
絵本や物語の「読み聞かせの会」の人たちも、
週に何回かボランティアで学校の子どもたちに、本を読み聞かせている。


給食時間に流れる曲があり、掃除の時間に流れる曲があり、下校時間に流れる曲がある。
ドボルザークの「新世界より」が流れたら下校の時間というのは、よくあるパターン。
この地域では、夕方になると、「ゆうやけこやけ」がスピーカーに乗って流れる。
ゴミ収集車は「あかとんぼ」を流してくる。
以前、JAの販売車は「牧場の朝」を流していた。


教師になって初めて卒業生を送り出した淀川中学校第二回卒業式。
ほとんどが二十代の教師だった。
新設校には講堂も体育館もない。
青空卒業式にどんなバックグランウドミュージックを流そうか。
同い年の萩尾先生は、ベートーベンの「田園」を選んだ。
よく晴れて、風は冷たかった。
テントの下に整列した三年の担任教師たちは、初めて送り出す卒業生たちに、
質流れで買ってきたモーニングを着た。
「田園」が流れ、子どもたちが入場してくる。
「田園」と、そこにあふれる心が融けあっていた。
それ以来、「田園」を聞くたびに、あのときの透明な風が体の中に流れ出す。


一年間だけ美術を教えたことがあった。
美術の先生がいなくなり、免許を持っていたぼくがピンチヒッターになった。
グループごとに人形をつくって、人形芝居をする、これを半年間の授業にした。


子どもたちというものは、思いがけない力を発揮するものです。


最後の発表会のとき、
あるグループが行ったのは、ビートルズの公演。
「HELP」の曲が流れ、エレキギターを持ったビートルズの人形が演奏する。
ぼくの目ん玉は、開きっぱなしだった。


子どもは、教師を上まわる力を発揮するものです。


去年、北京にいたとき、武漢大学で教えた雪ちゃんが遊びに来た。
音楽が好きで好きで、けれど音楽にうちこめない状況に悩んでいた彼女だったが、
なけなしの金で、バイオリンを買ったと言っていた。
この曲を知っていますか。
ボブディランの「風に吹かれて」を一緒に聴く。
この歌詞を読んでごらん、人間って、いつになったら分かるんだろう。


青島にいたときは、CDショップで探し回り、
やっと見つけたシューベルトの「冬の旅」とヨーヨー・マのチェロの演奏を、
一人宿舎で何度も聴いた。


昨日はモーツァルトの生誕250周年、誕生日。
午前中はずっとモーツァルトを流しているという老人ホームがあり、
入居者は、心が癒されますと話していた。
野菜に聴かせている農家、よく育ちます。
牛に聴かせている農家、お乳がよく出ます。


安曇野でリンゴをつくっているアキオくんに、
ジョンデンバーのCDをプレゼントした。
厳しい冬の農場で、アキオくんは、
近づく春を待ちながら、はさみを使っているだろう。
ジョンデンバーの歌を農場に流しながら剪定しているかしら。
SPRING、春、
SPRING、跳躍、
SPRING、元気、
SPRING、ばね、
SPRING、泉、
泉のように、ばねのように、
春は、空と大地から、元気に湧き出し、跳びだしてくる。