日本の「悲惨」をめぐる旅をしていた姜尚中さんは、巨大地震、巨大津波、福島原子力発電所の大爆発に襲われた福島県浪江町の一つの牧場を訪れた。
姜尚中さんは「維新の影 近代日本150年、思索の旅」に、その時のことを書いている。その牧場主は吉沢さん。
人見知りする気配もない牛たちはみな生き生きとして、半ば野生化したように元気だ。しかしその牛たちは被曝しており、殺処分の対象となっている。餓死か殺処分か、どちらを選ぶか、吉沢さんは考えに考え、牛たちをそのまま生かして、原発事故の悲惨を後世に伝え、「絶望の牧場を、希望の牧場につくりかえよう」と決断した。それが、「希望の牧場 ふくしま」プロジェクトだった。
吉沢さんは、節くれだった手で涙をぬぐいながら、一時間にわたって胸の内を姜尚中さんに語った。牛の頭数は3500,豚の頭数は30000、鶏は4000万羽、その過半数は餓死した。野生化した犬がその肉を食らった。それは、この世の地獄であり、吉沢さんにとっては死ぬほどつらい光景だった。
吉沢さんの口から出たのは、「棄民」という言葉だった。「棄民」という言葉は、姜尚中さんの耳にずっと残り続けた。吉沢さんの牧場は、吉沢さんの父が開拓した土地につくられたものだった。吉沢さんの父は、戦前、満州開拓の国策に従って中国東北部に入植し、日本の敗戦によって「棄民」となって日本に帰還した吉沢さんの父が開いたものだったのだ。まさに血と汗の二代の人生によって、つくられた牧場が、国策の原子力発電所によって破壊された。
姜尚中さんは、在日コリアンで、東大の教授をつとめ、日本、日本人、その歴史を、全国を歩いて探究し、明治以降の近代日本150年を著書「維新の影」に著わした。
続く